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だいじょうぶ3組

文科省が、2018年にも小中学校で道徳の授業を教科化しようと検討しているそうですね。
道徳に評定を付けるようなことになれば、道徳的にどうなんだろうと思ったりもしますが、
それによって悲惨なイジメなんかを未然に防げるのであれば意味もあるのかな?
ボクの通っていた小学校は、近隣に被差別部落や朝鮮学校があったこともあってか、
道徳の授業は人権問題ばかりで、イジメ問題なんて取り扱ってなかった気がします。
江戸時代の穢多・非人の歴史を教える同和問題や、在日朝鮮人の差別問題、
他の小学校がどうだったかは知らないけど、今思えば小学生にはヘビーな内容でしたね。
あと、障害者問題にも熱心で、頻繁に養護学級との交流の機会があったりしました。
その時に受けた道徳の授業はボクの人格形成にかなり影響していると自覚しています。
しかし必ずしも学校側が意図した道徳観にはなっていません。
朝鮮人は日本人は違うのだと意識させられ、今では思想も右寄り(親米反中韓)だし、
部落の友達も多かったけど、部落との境界に目に見えない壁を感じるように…。
障害者を差別しないが、区別もしないので、周りから「冷たい人」と思われたりも…。
やっぱり道徳を教えるというのは難しいことだし、学校に任せることなのかは疑問です。
でもだからこそ、教科化で画一化してしまった方がいいのかも。

ということで、今日は障害者を題材にした映画の感想です。

だいじょうぶ3組
だいじょうぶ3組

2013年3月23日公開。
乙武洋匡が自らの教師体験を基に手掛けた小説を映画化。

4月の新学期を迎えた東京郊外の松浦西小学校。補助教員の白石優作(国分太一)と新任教師の赤尾慎之介(乙武洋匡)が、受け持ちの5年3組の教室に現れると、生まれつき手足のない赤尾の姿を見た生徒たちの表情に驚きと戸惑いの色が広がった。普段の授業をはじめ、運動会や遠足などのイベントを経て、2人の先生と28人の生徒たちは信頼を深めていく。(シネマトゥデイより)



ベストセラー『五体不満足』の作者である乙武洋匡が、
小学校で教鞭をとった経験をもとに執筆した小説を映画化した本作。
乙武洋匡は生まれつき両手足がない障害があり、本作はそんな彼の体験談が基なので、
本作の主人公も当然両手足がないわけですが、主人公を作者自身が演じています。
昨年でも片腕のない女性の物語『ソウル・サーファー』や、
首から下が動かない『最強のふたり』など、障害者を扱った映画はたまにあるけど、
障害者である本人が障害者の主人公を演じるというのは前代未聞かも?
(『イルカと少年』のような動物の例はあるけど…。)
運動障害や視覚障害のような身体障害だけでなく、知的障害や精神障害の登場人物でも、
健常者である俳優が演じるのが一般的だと思います。
乙武洋匡の障害は、健常者で再現するのはかなり手間だとは言え、
(本作と比較するような作品ではないが)『キャタピラー』なんかでは、
似たような障害者をちゃんと俳優が演じているし、出来ないわけでもなさそう。

何が言いたいかと言えば、障害者が見世物になっている、
…ということではなくて、映画としてもかなり冒険的な作品だということです。
本作に登場する障害者は主人公だけでなく、ダウン症の女の子をいますが、
おそらく彼女も本当に障害を持っている人だと思います。
普通なら問題視されるのを恐れて躊躇してしまうようなキャスティングです。
実際に本作の製作委員会にテレビ局が入っていないのも、
腰抜けのテレビ局が批判されるのを懸念してのことだと思われます。
それはともかく、手振りも使えないのに演技に挑戦する乙武洋匡も冒険的ですよね。
しかも圧倒的な存在感で、見事に演じ切れている多才さや、
ジャニーズと二枚看板で主演を張れてしまう今なお絶大な人気には敬服します。

ただ、そんな冒険的で挑戦的な概要の作品なのに、その内容はかなり緩く…。
勿体ないというか、もうちょっと踏み込んだ内容でもよかったと思います。
新学期、ある小学校の5年3組の担任として、手足のない赤尾先生が着任します。
親友で元教師の白石先生が介助員として同行し、板書などをサポートします。
赤尾先生は姿だけでなく型破りな熱血教師で、彼が受け持ちのクラスが抱える問題を、
予想も出来ないような手段で解決していく話かと思いきや、全然違いました。
そもそもこのクラスには、もともと問題なんてないのです。
『金八先生』みたいな教育問題のデパートな学校ドラマが多いので、拍子抜けしました。
生徒もはじめこそ赤尾先生の姿に戸惑いも浮かべますが、すぐに受け入れます。
小学校が舞台だからなのか、生徒はみんな素直な子ばかりです。
イジメ、学級崩壊、教師の職場放棄など、世間は教育問題が深刻だと騒ぐけど、
実際はこんな大して問題のない学級がほとんどなのかもしれません。
ただ、物語なので普通であればいいということはないはずだし、
このクラスはいくらなんでも問題がなさすぎると思います。

介助員の白石先生は今は教育委員会の職員ですが、元は小学校の教師でした。
彼はモンスターペアレントに悩ませれ、半ば職場放棄する形で教育委員会に異動しました。
今のご時勢、彼のような普通の教師でもそんな状況になるのに、
もし身障者が担任になったら、素直な子どもたちは受け入れられても、
子どもを預ける親御さんは少なからず心配になると思います。
小学校5年生は多感な時期だし、中学受験するなら勉強に支障がないかも不安ですよね。
モンスターペアレントのような行動に出る親がいても無理からぬことです。
ところが、このクラスの生徒の親御さんは、子どもたち同様すぐに受け入れたようで、
生徒が作った、赤尾先生の遠足参加の嘆願書にも全員署名したりと超協力的です。
これはいくらなんでも恵まれすぎていると思うし、もしそれを納得させるなら、
白石先生のモンスターペアレントのエピソードはない方がよかったと思います。
むしろ親御さんよりも副校長や同僚教師の一部に、モンスター気味の人はいましたが…。

このクラスにはイジメもありません。
ポッチャリした男子ブーちゃんが、軽いイジメを受けてそうな描写はあったものの、
大半の生徒は彼に好意的で、彼が上履きを失くした時も放課後みんなで捜してあげます。
ヨウスケとコウヘイはすぐケンカしますが、ケンカするほど仲がいいって感じだし、
休み時間に本ばかり読んでる女子アヤノも、仲間外れにされているわけでもないです。
ボクも学生時代にイジメを目撃したことはほとんどありませんが、
これほど一枚岩なクラスというのも見たことはなく、特異すぎる気がしました。
でも作者の体験談なので、乙武先生のクラスはそうだったんでしょうね。
逆にそんなクラスだったから、彼が担任をしても大丈夫だろうと学校が判断したのかも?

春の運動会、全員参加のクラス対抗100メートル走で、
赤尾先生は14レース全てを3組が1位独占しようという目標を掲げます。
そのために放課後みんなで100メートル走の練習を始めるのですが、
捻くれ者で、クラス一の俊足であるコウヘイだけは練習に顔を出しません。
(彼以外の生徒が全員参加するのも異常な状況ですが…。)
彼は他のクラスの学年一俊足の生徒に、頑張って負けたら恥ずかしいと思っていて、
みんなの前で必死に練習するのを嫌がっているのです。
しかし白石先生に頑張ることの意義を説かれ、心を入れ替えて練習に参加します。
結果、本番でやっぱり負けるも、みんなからベストを尽くしたことを認めてもらい、
捻くれた性格も改善され、今まで以上にクラスに馴染むようになります。
「結果よりも成長が大切」という教訓的なエピソードでいいと思いますが、
コウヘイの心を開かせた立役者は、担任の赤尾先生ではなく介助員の白石先生ですよね。
赤尾先生は無茶な目標をぶち上げて騒動を起こしただけにすぎません。
下手すると負けた生徒に対するイジメにも発展しかねない危険な行動です。
しかも赤尾先生は、全勝したら丸坊主になると公約しますが、
先生を丸坊主にさせるために頑張るみたいな動機や、
こんな罰ゲーム的なことは、教育上あまりよろしくないように思います。
はっきり言って赤尾先生は、教師としてはそれほど優秀ではない気がします。

もちろん優秀な先生が、イコールいい先生だとは思いませんし、
やはり道徳の授業に関して、特に障害者やマイノリティの問題については、
その当事者にしか語れない含蓄があると思います。
それが如何なく発揮されるのが、姉が知的障害者(ダウン症)で悩み、
不登校になってしまった女子アヤノの問題の解決です。
彼女は姉のことを周囲に隠しているみたいで、友達を家に呼ぶこともできません。
家族に障害者がいることがどんな心境なのか、ボクには測り知れるものではありません。
でも自身も障害者である赤尾先生なら、ズバッと一言で解決できると思いましたが、
これがそうでもなく、彼も「きっと大丈夫」としか言葉を掛けることができず…。
それが何ともリアルというか、障害者問題の難しさを描けていて興味深いです。

そこで赤尾先生は道徳の授業でそのことを取り上げることにします。
でも、もちろんアヤノの姉の話ではなく、自分の障害を題材にして授業します。
金八先生ライクに詩を引用したりして、生徒と議論するのですが、
実際は議論なんてものではなく、赤尾先生自身が用意した答えに生徒を導くだけです。
別にその答えが間違いだとは思わないですが、展開としてはつまらないかな。
例えば『ブタがいた教室』では道徳の授業風景を台本なしでやってましたが、
問題に対する子どもたちのガチな意見が聞けて、興味深かったし迫力がありました。
しかし本作では子どもたちはそれぞれ意見を発表しますが、すべて台本通りです。
しかも(赤尾先生が用意した)正解を出す生徒は、いつも同じ秀才の生徒と決まっていて、
その生徒が指名された時点で正解が出るとわかっちゃうし、
逆に他の生徒が正解を出さないのもわかり、予定調和すぎて展開的に面白くないです。
赤尾先生も自分が用意した正解が出るまで挙手させるのではなく、
他の生徒の意図しない答えも拾って意見を言ってあげるべきだし、
ボクは他の生徒の意見も別に間違っていないと思いました。
やっぱり道徳に、正解も不正解もないですよ。

とはいえ、赤尾先生の用意した答えは、もちろん不正解ではないし、
当事者ならではの重みがあり、留意するべきものだと思うし、
それにより当事者であるアヤノの気持ちが軽くなったのは何よりです。
もし健常者の先生が同じことを説いたとしても、生徒たちに響くかは微妙だし、
それは本作自体も同じで、もし健常者が書いた物語で、健常者が演じていれば、
単なる綺麗事でしかなく、今以上に緩い印象を受けたと思います。
そんな凡庸な内容の教科書的な道徳ドラマを、泣けちゃう感動作に押し上げるんだから、
やっぱり乙武さん自身の持つ破壊力は凄いです。

生徒たちも赤尾先生の破壊力に魅入られたようで、赤尾先生が学校を去る終業式の日、
生徒たちが黒板に「赤尾先生は(中略)最高の先生だったよ」と書き残しますが、
一年間一緒にいた白石先生のことには一言も触れておらず…。
たしかに赤尾先生のインパクトは強すぎるでしょうけど、
生徒や赤尾先生のために地味ながらかなり頑張った白石先生が気の毒で…。
少なくともコウヘイは赤尾先生より白石先生に恩義を感じるべきですよね。
しかしエンドロールの序列も、なぜか赤尾先生を演じた乙武洋匡ではなく、
白石先生を演じた国分太一が先で、ラストカットも彼のアップで終わり、
名目上、本作が国分太一の主演作ということになっているのは違和感を覚えます。
白石先生の恋人とのシーンも全く要らないようにも思いましたが、
製作サイドも、やっぱり乙武洋匡の主演作で売り出すのは冒険しすぎだと思ったのかな?

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