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さや侍

松本人志の初監督作『大日本人』のハリウッドリメイクが企画されているそうですね。
ハリウッドリメイクが企画された日本映画なら腐るほどありますが、
昨今の『AKIRA』の降板騒動のゴタゴタを見てもわかるように、
実際に公開にまで至った作品は数えるほどしかありません。
おそらく『大日本人』も永遠に待機中で終わるような気がしますが、
公開されるかはさておき、海外でリメイクの企画に挙がったてのは、
なかなか興味深いことだと思います。

日本人にしてみれば『大日本人』は松ちゃんありきの作品だったわけで、
それゆえ期待されたし、良くも悪くも話題にもなったわけだけど、
松ちゃんを知らなくてフラットに観れる外国人からすると、
無名俳優によるモキュメンタリーとして、高く評価されたってことになりますよね?
だからもしリメイクされたとしたら、無名俳優によるモキュメンタリーになるはずです。
となると原作のコンセプトと全く違うので、リメイクと呼べるものにならない気がします。
コンセプト通りに有名な俳優を主人公や怪獣に起用するなら、
それなりに興味深いものにはなりそうですが…。

ということで、今日は松ちゃんの最新作の感想です。

さや侍

2011年6月15日公開。
ダウンタウン松本人志監督の長編3作目となる時代劇コメディ。

ある出来事により、侍として戦うことをやめ、刀を捨てた野見勘十郎(野見隆明)。そんな父に対し、娘(熊田聖亜)は反発していた。2人は、あてもなく旅をしていたのだが、無断で脱藩した勘十郎には懸賞金がかけられており、とうとう捕まってしまう。しかし、奇人として世間では有名だった殿様から「30日の業」に成功したら、無罪にすると言われ……。(シネマトゥデイより)



ダウンタウン松本人志って普段テレビではあんなに面白い人なのに、
なんで映画だと本気で観客を笑わそうとしないんでしょう?
普段より笑いのセンスを6割くらいわざとセーブしているように感じます。
海外も視野に入れて制作しているので、日本の高度な笑いは伝わりにくいと考え、
例の「60(%)の笑いを全力でやる」理論を使っているということなのでしょう。
(ついでに、これも海外を意識しすぎなためか、セリフが単純で説明くさいです。)
でも別に海外では映画祭などで特別上映されるくらいでロードショーされるわけでもなく、
基本的には日本で上映され、日本人が一番観るわけです。
そろそろ本気で勝負してもらわないと、松ちゃんのセンスを疑ってしまいそうです。

しかし『大日本人』『しんぼる』と比較して、映画としては格段に進歩しています。
前2作はオチをシュールにすることで逃げてしまいましたが、
本作は比較的映画らしいまともな幕引きにしてあります。
ある意味では笑いから感動に逃げたとも取れる展開で、松ちゃんらしくないですが、
ちょうど『トゥルー・グリット』を撮った時のコーエン兄弟みたいなもので、
映画監督として、まともなこともできるという証明としても意味があると感じます。
今までは他業種監督として、奇抜な映画を作ってやろうという作為が感じられましたが、
本作は意図的なのかは微妙ですが、かなり普通の映画に歩み寄った印象です。
撮影スタッフに映画畑の人を増やしたことによる効果なのかもしれませんが、
ボクが思うに、共同脚本にも参加した板尾創路の影響が大きいんじゃないかな?
板尾さんは自ら映画監督もしてますが、俳優として普通の映画に参加することも多く、
松ちゃんや高須光聖に比べても、映画に理解のある人。
そんな彼がガッツリ脚本に関わることで、あまりコント的にならずに、
映画的なカタルシスを構築できたんじゃないかと思います。

笑わなくなった若君を30日以内に笑わせなければ切腹という試練
「三十日の業」を課せられた浪人・野見勘十郎が奮闘するストーリー。
グリム童話の「金のがちょう」の一部のような話ですが、
それ自体は特に独創的なわけでもなく、ありきたりな手法です。
そのフォーマットの上で、若君をどんな方法で笑わせるかが監督として、
日本一の芸人としての松ちゃんの腕のみせどころです。
しかし本作はそこが弱かった。
人間大砲にロデオのようなバブルの頃のバラエティ番組で使い古された罰ゲームや、
腹踊りやドジョウすくいなどの古典芸能を、これ見よがしに披露されたところで、
(外国人ならまだしも)目の肥えた日本の観客には通用しません。
いや、ボクなんかは結構ベタなことも好きだし、あんな芸でも面白がれるはずなんですが、
今回全然笑えなかったのは、その苦行に挑むのが素人のおっさんだったからです。

野見勘十郎を演じる野見隆明は、松ちゃん企画のリアリティ番組
「働くおっさん人形」で出演していた素人のおっさん。
ボクの地元では放送してなかったので見たことはなく、
このおっさんのことも本作で初めて知りましたが、
それを素人と言っていいのかはともかく、演技経験はないようです。
そんな演技経験のないおっさんを、あえて演技指導もせずに、
映画ということも知らせないで撮影したそうなのです。
そうすることでリアリティのある所作を撮ることには成功していますが、
俳優でも芸人でもない素人のおっさんが、必死に無茶ぶりに応えようともがく真剣な姿を、
どんなに滑稽でも笑うなんてことなんてできません。
むしろそんな無茶ぶりされて気の毒で、イジメられているようにさえ見えます。
牢での稽古シーンの中には展開上意図的にイジメっぽくしている箇所もあるんですが、
そのシーン以外もイジメに見えます。
(牢屋番のひとり柄本時生が、人を馬鹿にしたような面構えなので尚更不愉快です。)
それでも頑張るおっさんの姿に感銘を受け、「三十日の業」後半の感動に繋がるのですが、
笑わせるべき前半からすでに必死過ぎて、結局1回も笑えませんでした。

もし野見勘十郎役を松ちゃんとか他の芸人が演じてたら、
どんな罰ゲームもオイシイだろうし、そんな痛々しさは感じなかったはずです。
そうなると当然感動も薄まるでしょうが、少なくとも笑えたと思います。
松ちゃんは今回股関節の怪我で主演することは諦めたと言ってますが、
彼がもし野見をやっていれば、必然的にもっと高度な芸を期待されるし、それをやるはず。
やっぱり素人を使ったのも低レベルなネタでも素人だから許されるだろうというような、
逃げの手段だったんじゃないかと思えて仕方ありません。

松ちゃんは野見勘十郎の娘・たえ(熊田聖亜)を「理想の娘を撮った」と言っています。
つまり裏を返せば、やはり野見勘十郎は松ちゃん自身を投影させたもののはずです。
侍なのに刀を持たず、笑いで生き恥を晒しながら生きる野見を、
お笑いなんてやくざ者の仕事で生活している自分にダブらせ、
そんな自分を生まれたばかりの娘に認めてほしいという思いがあるんだと思います。
なんか松ちゃん子供が生まれてからホントに変わりましたよね。
その最たるものがクライマックスの挿入歌「父から娘へ~さや侍の手紙~」でしょう。

この挿入歌は松ちゃんが作詞したそうなんですが、とても感動的ないい歌です。
一昔前の彼ならこの歌詞はたぶん書けてないし、書けても恥ずかしがって公表しないはず。
とにかく歌詞がよくて、印象的かつ効果的に演出してあり、
この歌が流れただけでなんとなくいい作品を見た気にさせてしまうので、
本作を好意的な評価をする人はこの歌のことを褒める人が多いです。
ただそれは、やはり歌がいいだけであって、作品の映画的評価とはまた違いますよ。
作詞家としては評価しますが、監督・脚本家としてはここでこの歌詞はおかしいです。
本作で一度だけ、腹芸の準備の時に野見勘十郎とたえの父子絡みがあるのですが、
その時の印象からして、野見は娘に対してこんな手紙を残すキャラではないです。
あの父子らしからぬ絡みさえなければ、ボクもこの歌で素直に泣けたでしょうが、
その違和感が邪魔をして結局泣けませんでした。
(内容をちゃんと知らせず、ドキュメント方式で撮った弊害です。)
あとそれを歌った坊さん、なんでも竹原ピストルというフォーク歌手らしいのですが、
勿体ぶって出てきた割には見たこともない俳優だったので、その戸惑いもありました。
ついでにその歌詞のことですが、なんか妙に聴いたことがあるような歌だなと思ったら、
話題になった絵本『りなちゃんきいて…ホスピスのお母さんから伝えたかったこと』から
インスピレーション受けすぎじゃないですか?(むしろパ○リ?)

異業種監督だから当然といえば当然だけど、
松ちゃんは映画に本腰を入れて取り組む気はないんだろうな…。
いや、ボクを含め観客が松ちゃんに笑いを求め過ぎなのかも?
異業種監督は国際的な映画賞にでも受賞しない限り、
なかなか普通の映画として評価してもらえませんね。
松ちゃんは本作がロカルノ国際映画祭に出品されたことを、
「世界四大映画祭のひとつに呼ばれた」とご満悦に語っていますが、
四大映画祭って、カンヌ、ベルリン、ヴェネチア、モスクワじゃなかったっけ…?

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