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トゥルー・グリット

今日も昨日に続き、リメイク作の感想になりますが、
ボクはその映画の原作やオリジナルを知っていると、
すぐ比較してしまい、その相違点を探すことに目が行ってしまうので、
作品としてあまり楽しめないことが多いです。
それに原作やオリジナルを超える映画なんて、そう簡単には出会えません。
だからなるべく基の作品は知らない方がいいんですが、
その映画に興味があると当然原作にも興味が湧きますよね。
ボクは活字が嫌いなんで、原作が小説の場合は手が出ませんが、
漫画や映画だったりすると見てしまうことが多いです。
映画を観てから原作を読む、リメイク作を観てからオリジナル作を観るという順だと、
作品に対する理解が深まるのでメリットを感じることもありますが、
その逆の順だと大概後悔するので要注意です。
なんにしても一番いいのは、完全オリジナル脚本の映画ですね。
昨今はホントに少なくなりましたが…。

ということで、今日はリメイク作品の感想です。
例の如く、本作鑑賞後にオリジナルも見ました。

トゥルー・グリット

2011年3月18日日本公開。
コーエン兄弟監督、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮による西部劇。

父親を殺された14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)は、真の勇気を持つといわれる保安官のコグバーン(ジェフ・ブリッジス)に犯人の追跡を依頼。テキサス・レンジャーのラビーフ(マット・デイモン)も加わり、かたきのチェイニー(ジョシュ・ブローリン)を追うこととなる。(シネマトゥデイより)



本作は1969年の西部劇『勇気ある追跡』のリメイクとも言われていますが、
監督のコーエン兄弟によれば「原作が同じなだけ」ということのようです。
リメイク扱いに抵抗があるのか、「旧作から全く影響受けていない」と言っています。
ボクは本作でわかりにくいところがあったので、確認のつもりで旧作も見たのですが、
「原作が同じなだけで、ここまで似た構図になるか?」と思うようなシーンも多く、
やっぱり多大な影響を受けているんじゃないかな?と感じました。
あの『ノーカントリー』や『シリアスマン』のコーエン兄弟の作品だから、
彼らが一から作ったらもっと奇抜な作品になりそうなものだけど、
けっこう正統派な仕上がりになってるし、やっぱり土台はある気がします。

なので妙にコーエン兄弟らしくない作品でもあります。
持ち味のシュールさが抑えられ、すごくポピュラリティのある作品になってます。
それは製作総指揮のスティーブン・スピルバーグの影響なのか、
原作に忠実なことが原因なのかはわかりませんが、
わかりやすいというのはいいことで、コーエン兄弟史上最大のヒット作となりました。
「こんな正統派な作品が奇才コーエン兄弟なの?」という批判的な意見もあれば、
「玄人好みのコーエン兄弟でも本気出せばこれくらい撮れる」という肯定的な意見もあり、
人によって評価は異なりますが、共通しているのは、本作のコーエン兄弟らしくなさが、
本作最大の関心事であり、評価の基準になっているということです。
良くも悪くもコレをコーエン兄弟が撮ったことが興味深いんであって、
誰が監督かとか気にしない人が観たら、普通の西部劇だし、新鮮味は薄いと思います。
2度も映画化された原作だし、正統派な作品なので全く面白くないはないでしょうが…。

日本公開前から「コーエン兄弟らしくない作品」という話は聞いてましたが、
ボクは本作を観ている時は「思ったよりもコーエン兄弟ぽい」と感じました。
ただ、最後まで観ると、物語が最後まで綺麗に纏まっていたので、
やはり「こんなコーエン兄弟の作品は初めてだ」と思えました。
彼らの作品はいつも娯楽性が強く、観ている最中は楽しめるんですが、
いつも思いがけないところで急に幕を下ろすので、「えっ?」ってなるんですが、
本作はラストもとてもスッキリ締められています。
それゆえ最終的には「らしくない」と思ってしまったのですが、
前述のように、物語途中の演出などはコーエン兄弟らしいと感じました。
彼ら特有のナンセンスが満載で、セリフの端々にユーモアが感じられます。

特に主人公の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)のキャラが面白いです。
彼女は田舎の牧場から父親の仇チェイニー(ジョシュ・ブローリン)を捕まえるため、
フォートスミスの街までやってきます。
彼女は普通の女の子ですが、正義感だけは誰にも負けません。
いえ、ただの正義感ではなく、法秩序に絶対的な信頼を持っているようで、
理不尽なことに遭うと、「弁護士が黙ってない」とか「判事に訴えるわよ」と、
二言目には法律を笠に着て、自分の正当性を説きます。
法律が絶対だと思っているところが子供らしくてかわいいですが、
アウトロー相手に法を説こうというのがユーモラスです。
なんだかんだで彼女のペースに巻き込まれるアウトローたちも滑稽で面白いです。
この彼女のユニークな性格は、コーエン兄弟による演出だろうと思ったのですが、
旧作でも同じだったので、原作に忠実な設定なんでしょうね。
でも本作ではかなり強調されているので、コーエン兄弟も彼女のこの性格が気に入って、
映画にしたいと思ったんじゃないかな?…と感じました。

街に出てきたマティが、宿で見ず知らずの婆さんと相部屋にされ、
同じベットで寝なきゃいけない展開なんてのは、
コーエン兄弟らしいくすぐりが利いてて、思わずニヤケてしまうシーンです。
マティが雇った保安官コグバーン(ジェフ・ブリッジス)が、
意味もなく先住民の子供を再三蹴り飛ばすシーンとか、
コグバーンとテキサスレンジャーのラビーフ(マット・デイモン)の、
意地の張り合いの射的勝負のシーンなども、コーエン兄弟らしいユーモアがあります。
絞首刑の前に叫ぶ罪人たちや、木に吊るされた死体を降ろす展開には、
コーエン兄弟らしいナンセンスさを感じます。
それもそのはずで、これらのシーンは旧作にはなく、
本作独自の展開、あるいは旧作では割愛されたであろうシーンであり、
「らしさ」が出しやすいところなんでしょうね。

最後、マティの身に起こる衝撃的な結末も本作独自の展開で、
旧作の方ではもっとアッサリしたハッピーエンドで終わっています。
本作を観た時には「スッキリ締めすぎ」と思ったけど、
これでも彼らなりに捻ったラストだったんですね。
まぁ旧作はマティの代わりに、ラビーフが衝撃的なことになっちゃってますが…。

たしかにコーエン兄弟のわりには当たり障りのない内容で、物足りなさも感じますが、
毎回こんなのだったらちょっとガッカリだけど、数本に一本くらいはあってもいいかな?
ナンセンスでシュールなわかりにくい映画しか作れないアート系監督と違い、
ちゃんと一般的に楽しめる作品も作れる上で、シュールな作品も作れる監督の方が、
本当に実力あるんだなと確信できますもんね。
「写実画が描けない抽象画の画家はただの下手くそ」というのと一緒です。

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