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沈黙 -サイレンス-

先達て、第89回アカデミー賞のノミネート作品が発表されました。
作品賞候補は9本でしたが、なんだかピンとこない顔ぶれです。
9本とも日本ではまだ劇場公開されてないため未鑑賞なので、
その出来についてはまだ何とも言えないのですが…。
時勢(レイシストな米大統領が誕生)を反映してか、
9本中3本は主人公が黒人の作品(非白人なら4本)です。
ハリウッド映画ファンとして、とりあえず全部観てみようとは思いますが、
(あ、でも『最後の追跡』はNetflix独占配信だから観れない…。)
全体的に娯楽色が薄く、あまり楽しみには出来ないかも。
結局娯楽色が最も強い『ラ・ラ・ランド』あたりが受賞しそうな気がします。

ということで、今日は一応アカデミー賞関連作の感想です。
作品賞にノミネートされる見込みで先週末に封切ったんだろうけど…。

沈黙 -サイレンス-
Silence.jpg

2017年1月21日日本公開。

遠藤周作の歴史小説をマーティン・スコセッシ監督が映画化した本作。
華々しい受賞歴を持つスコセッシ監督の最新作だけに、
本作の第89回アカデミー賞でのノミネートの可能性もあるかと期待しましたが、
撮影賞のみで、主要部門ではノミネートされませんでした。
クリスチャン映画だし、保守的なアカデミー会員から好まれるかと思ったけど、
内容的にクリスチャン好みのクリスチャン映画ではなかったのかも。
(今回のアカデミー賞のクリスチャン映画枠は『ハクソー・リッジ』かな?)
普通、クリスチャン映画は主人公が試練に遭いながらも、
最終的には神の奇跡的なノリでハッピーになるものが多いですが、
本作は主人公がただただ試練に遭うだけで神は沈黙したまま奇跡は起きず、
神の無力さを描いているので、布教的にはマイナスの影響がありそうだし。
遠藤周作自身はクリスチャンなので、アンチな作品ではないはずですが、
本作はクリスチャンの客よりも無神論者の私の方が納得できる内容かも。
以下、ネタバレ注意です。(既にネタバレ気味ですが…。)

17世紀、イタリアのイエスズ会のヴァリニャーノ神父は、
日本で布教活動をしていたフェレイラ神父が切支丹狩りで拷問を受け、
棄教(信仰を捨てること)して日本人になったという報告を受け、
フェレイラ神父の弟子であるロドリゴ神父とガルペ神父に教えます。
2人は「師が棄教なんてあり得ない、真実を確かめたい」と日本行きを決意。
マカオ在住の日本人キチジローに案内役を頼み、中国船で密航します。
当時の日本は島原の乱の直後でクリスチャンにとっては超危険地帯。
捕まったら大変なことになりますが、鎖国も始まっていたし、
外国人密航者なんだからクリスチャンじゃなくても捕まって当然か。
無事長崎に上陸し、キチジローの案内で隠れ切支丹の住むトモギ村へ行き、
村長の爺さまらから大歓迎を受けて匿われます。
ロドリゴ神父らは彼らから「パードレ」と呼ばれますが、どうも司祭のことらしく、
それが訛って伴天連(バテレン)になったのかもしれませんね。
他にも異教徒を「ゼンチョ」、修道士を「イルマン」、告解を「コンヒサゲ」、
天国を「パライソ」など、馴染みのない切支丹用語を知れて勉強になりました。
まさかハリウッド映画から古い日本語を教えてもらえるとはね。

匿われると言っても、夜中にミサや洗礼や告解などパードレの仕事を強いられ、
昼は見つからないように炭焼き小屋に閉じ込められるという不自由な生活で、
フェレイラ神父を捜しに来た2人はストレスが溜まります。
そもそも出歩けないのもわかっていただろうに、
どうやって捜すつもりだったのかノープランすぎますね。
2人は炭焼き小屋をこっそり抜け出し、束の間の日向ぼっこしますが、
そこを運悪く余所者に見られてしまうのですが、なんとその余所者も切支丹。
切支丹が弾圧されているはずなのに、日本は切支丹だらけかと思う展開です。
その余所者切支丹は五島の隠れ切支丹の村から来たみたいで、
彼らからウチの村にも来てほしいと懇願されます。
五島の村はキチジローの故郷ですが、なぜ彼はそこに案内しなかったのか…。
トモギ村もパードレを取られたら困るというので、ガルペ神父を残して、
ロドリゴ神父がキチジローと五島の村に行くことになります。
五島は切支丹の数も多くて大歓迎されますが、離島なので取り締まりも緩いのか、
昼間も堂々と活動できるし、ロドリゴ神父はかなり快適な生活を送れ、
トモギ村で軟禁状態のガルペ神父がちょっと可愛そうですね。

ロドリゴ神父は五島で100人以上の告解を聞きますが、
一番許しを必要としていたのはキチジローで…。
漁師の彼は漂流してポルトガル船に拾われマカオに住んでいましたが、
五島にいた頃は切支丹で、家族全員で切支丹狩りで踏み絵に掛けられ、
死にたくない彼は踏みますが、彼以外の家族は踏まず火炙りの刑に…。
そのことをずっと悔い、苦しんでいました。
この火炙りの刑のシーンはかなり残酷で衝撃的でした。
でも火炙りされた家族をあまり可哀想だと思えないのは、
死にたくないなら踏み絵を踏めばいいのに、自業自得だと思うからかな。
踏んだキチジローは正常だし、踏めずに殺される切支丹は狂信的です。
自爆テロを行うムスリムの精神に近いものを感じてしまいます。
神もそんなことで信者が死ぬのは望んでないだろうに。
キチジローはロドリゴ神父に告解してもらい、切支丹に復帰しますが、
踏み絵しても告解すれば赦されるんだから、やはり家族は無駄死にです。

五島で布教ライフを満喫するロドリゴ神父のもとに、
奉行所の役人にトモギ村村長が捕まったという報せが届き、
キチジローと共にトモギ村に戻ります。
役人は村人に「匿っているパードレを渡さなければ人質4人連れて行く」と…。
その夜、村で誰を人質にするか、会議が行われるのです。
村長、役人に指名されたモキチ、立候補したイチゾウの3人が決まるが、
あとひとりが決まらず、余所者のキチジローが4人目にされてしまいます。
余所者を生贄にするなんて、トモギ村の奴らってカス野郎ですね。
汝の隣人を愛せよ、それでも切支丹かよ。

4人は人質として長崎まで連行されるはずが、その場で踏み絵させられます。
ロドリゴ神父に「踏みなさい」と言われていたので、4人は意を決して踏むが、
役人は「騙されんぞ、踏む時に息が荒くなったな!」と、
更に彼らに、十字架に唾を吐き、聖母を淫売と罵るように命令するのです。
踏み絵くらいは何でもない気がするが、これはちょっと辛いかもね。
まぁ殺されるのに比べたら、出来ないことではないだろうけどね。
棄教経験者キチジローは難なく唾を吐き解放されますが、他3人は無理で…。
キチジローも聖母を淫売と罵ってないけど、解放していいのかな?
村長たち3人は海辺に磔られ、潮の満ち引きで水責めの刑に…。
村長とイチゾウはすぐ死ぬが、モキチは耐え続けるも4日後に死にます。
満ち潮でも完全に沈み切らない高さに磔られたから4日も粘れたのだけど、
モキチ本人も苦しかっただろうけど、死ぬまで見届ける役人もご苦労様です。
キチジローの家族みたいに火炙りにしちゃえば早いのに。

ロドリゴ神父とガルペ神父はこのままだとトモギ村に迷惑が掛かると、
ガルペ神父は平戸に行き、ロドリゴ神父は五島に戻ることになります。
ロドリゴ神父は五島でキチジローと再会し、隠れ切支丹の村に案内してもらう。
途中で再び告解し、十字架に唾したキチジローの罪を赦すが、
彼が役人に密告し、ロドリゴ神父は捕らえられてしまうのです。
なんでも切支丹を密告したら銀100枚、イルマンなら銀200枚、
パードレなら銀300枚も貰え、キチジローは役人から銀300枚貰います。
まぁ二度も棄教した(これで三度目)キチジローなんかに案内させるなんて、
裏切られても自業自得って感じですよね。

ロドリゴ神父は長崎の切支丹収容所に投獄されます。
奉行の井上様によるお裁きが行われるので、通辞役の侍がやって来ます。
井上様はかなり英語が堪能なので、通辞役なんて要らない気がしますが…。
あ、本作では英語ですが、実際はポルトガル語の設定でしょうね。
日本語は日本語のままなので、違和感あるけどハリウッド映画だし仕方ない。
通辞役は「我々には我々の信仰がある」と彼に棄教するように説得します。
「あなたは仏陀は人間だと言うが、そう思っているのはクリスチャンだけ」と。
通辞役の言うことはもっともで、それこそ私が宗教を嫌う理由です。
布教するのは勝手だが、他宗教や無宗教を否定するなと思うんですよ。
井上様からも「君の信仰は正しいが、この国では馴染まない」と説得されます。
本当にその通りで、宗教は文化と繋がってるからね。
寺社仏閣とか世界に誇る日本文化も禁教令のお蔭で残ってるわけだし、
火葬はキリスト教では禁忌だが、国土の狭い日本では土葬は難しいわけだし。
しかしロドリゴ神父は「真理は普遍である」と突っぱね…。
そんな聞き分けのない奴はさっさと処刑しちゃえばいいと思うけど、
井上様はパードレを殺さずに棄教させたいみたいで、一旦牢へ戻します。
伴天連追放令って、その名の如くすぐに国外追放しちゃうか、
すぐに殺しちゃうのかと思ってたけど、棄教するまで投獄するんですね。

収容所にキチジローがやって来て、自分も切支丹だと自主し投獄されます。
一体何のつもりかと思ったら、またまたロドリゴ神父に告解したいみたいで…。
ロドリゴ神父を役人に売った罪を赦してもらい切支丹に復帰するためですが、
もうコイツは何がしたいんだかわからず、笑っちゃいますね。
本人は至って真剣なところも笑いを誘いますが、演じる窪塚洋介がいいです。
あと展開的にはけっこうシリアスなのに、役人や牢番などの長崎弁も、
なんだかホッコリさせられて面白いです。
ハリウッド映画だけど、この面白味は日本人客しかわからないだろうな。
ロドリゴ神父は渋々告解し、赦してやるのですが…。

ある日、役人が切支丹の囚人数人を並べて、順番に踏み絵させます。
しかし全員が拒否したため、見せしめにひとり斬首します。(衝撃シーン!)
更に「踏み絵の手本を見せる」と、キチジローを呼び、踏み絵をさせます。
通算3度目の踏み絵となるキチジローはあっさり踏み、解放されます。
コイツは告解してやる度に棄教するんだから、赦すだけ無駄ですが、
逆に告解さえすれば簡単に赦されると知ってるから、簡単に棄教できるんだな。
棄教せずに処刑されても、棄教して死ぬ前に告解して赦されても、
死ねば天国に行けるという結果に違いはないのだから、
他の切支丹もキチジローを見習って要領よく立ち回った方がいいです。
後にキチジローは性懲りもなくまた収容所に来て、告解してほしいと頼むが、
牢番に「お前は切支丹じゃないだろ」と追い返されてしまいます。
追い返さなかったらロドリゴ神父はまた彼を赦すのかな?

ある日、ロドリゴ神父は役人たちに浜に連れて行かれます。
そこに平戸に行ったはずのガルペ神父と数人の切支丹も連れて来られ、
切支丹たちは簀巻きにされて海に放り込まれます。
ガルペ神父は彼らを助けるために海に飛び込み、溺死してしまうのです。
その不条理な光景を見せられたロドリゴ神父は、
「信者が酷い目に遭っているのに、なぜ神は沈黙しているのか」と疑問を抱き…。
これは当然の疑問で、救いが必要な時に時に救ってくれないのであれば、
何のために神を信仰しているのかわからなくなって当たり前ですよね。
むしろ信仰していることで救いが必要な状況に追い込まれてるわけだし…。
これこそ神がいないことの証明、例えいたとしても無力であることの証明で、
クリスチャン映画とは思えないネガティブな展開です。
しかしカナヅチでもないガルペ神父が、簀巻きにされているわけでもないのに
海に飛び込んで溺死してしまうのという展開は、ちょっと違和感がありますね。

またある日、ロドリゴ神父は今度はお寺に連れて行かれます。
そこで彼を待っていたのは、なんと捜していた師フェレイラ神父でした。
いや、彼は棄教し仏門に降っていたので、神父ではなく僧侶かな。
というかもはやフェレイラですらなく、沢野忠庵という日本人になっていました。
彼は天文学の本を執筆する傍ら、反キリスト教本「顕疑録」も執筆しており、
弟子ロドリゴ神父に対しても、棄教するように説得するのです。
そんな変わり果てた師の姿にロドリゴ神父は幻滅します。
沢野忠庵曰く、「15年布教したが日本にはキリスト教は根付かない」
「日本人は自然の中にしか神を見出せず、切支丹の信仰も歪んだ福音だ」と。
当時の日本人が西洋の宗教を理解できるはずもなく、彼の見解は正しいです。
キリスト教が伝来した時、大日を信仰する仏教の一派だと勘違いされたらしいし。
まぁ沢野忠庵は別に布教が無理だと悟ったから棄教したわけではなく、
捕まって受けた拷問に耐え切れずに棄教したのですが…。
その拷問は本作冒頭で描かれた雲仙での柄杓熱湯かけの刑かと思ったら、
穴吊りの刑というもので、超苦痛な拷問らしいけど、熱湯かけの方が辛そうな…。
そんな恩師の有難い説得を受けてもロドリゴ神父は頑なに棄教を拒み…。
どんな道理に適う説得を受けても信仰を曲げないのが凄いというか、
これだから宗教は融通が利かなくて怖いんですよ。
なお、沢野忠庵ことクリストヴァン・フェレイラは実在した転び伴天連です。
ちなみにロドリゴ神父にもジュゼッペ・キアラなるモデルがいますが、
名前を変えていることからも、かなり脚色されていそうです。

ある日、ロドリゴ神父の目前で5人の切支丹が穴吊りの刑に処されます。
苦痛で呻く切支丹を前に、彼は祈るしか出来ないが、無力な神はもちろん沈黙。
そこに沢野が「神では彼らを救えないが、お前なら救える」と踏み絵を迫ります。
「イエスでもこの状況で棄教する」と言われ、ついにロドリゴ神父は踏み絵をし、
棄教して切支丹たちを救うのです。
いや、そもそも5人は既に棄教していた元切支丹なのに、
ロドリゴ神父が棄教しないせいで穴吊りの刑にかけられていたので、
彼が救ったというのも語弊があるかもしれません。
しかし踏み絵をしたからって棄教したことにはならないんじゃないかな?
隠れ切支丹の多くも踏み絵をしながらも信仰を続ける者なわけだし。
まぁ体裁上、パードレを続けることは出来ないでしょうけどね。

その後、ロドリゴ元神父は生涯キリスト教を信仰しなかったみたいで、
沢野と共にオランダ貿易の輸入品の鑑定をする仕事をします。
キリスト教関連の品が国内に持ち込まれないかチェックする税関です。
更に後に、死んだ岡田三右衛門なる日本人の名前と妻子を受け継ぎ、
日本人として日本人の妻子と共に江戸で余生を暮らすことになります。
なぜかキチジローも一緒に江戸で暮らし、親交があるみたいですが、
何度も裏切られた男とよく仲良くできるものです。
キチジローは岡田のことをまだパードレだと信じているので、
江戸までついてきたのかもしれませんが、何度も踏み絵したわりには、
未だに信仰を捨てておらず、何気に信心深い奴です。
しかしそれが仇となり定期的に行われる踏み絵の際に、
持ち物から十字架が見つかり、キチジローは捕縛されてしまいます。
彼がその後どうなったかは描かれませんでしたが、一番要領よく、
何度捕まっても解放されるシブトイ男だったので、捕まって終わるとは意外です。

岡田は死後、荼毘に付せられ、仏教徒として葬られたわけですが、
棺桶の彼の懐にはモキチから貰った十字架が隠されていて、
実は死ぬまで信仰を続けていたことが暗に示されて幕を閉じます。
しかしこの十字架は岡田の妻がこっそり忍ばせたものであるため、
岡田の意志とは言い切れないように思うんですよね。
まぁ今となっては日本ではクリスチャンも火葬されるのが普通です。
真理が普遍であれば、日本のクリスチャンはパライソには行けないな。

キリスト教の特異性・狂気性を浮き彫りにしたクリスチャン映画として、
また日本人の宗教観を比較的正確に描いたハリウッド映画で興味深いです。
キリスト教に懐疑的な私が観て面白いんだから、
逆にクリスチャンは本作にどんな感想を持つのか気になります。
いずれにせよ宗教が題材なので、宗教に全く関心がなければイマイチかも。
物語としては残酷なだけで、そんなに面白い話でもないですからね。
でも一番の鑑賞ハードルは162分という長すぎる上映時間かな。
体感時間はそんなに長くはなかったけど、観るのに覚悟がいる長尺です。
おかげで感想もこんなに長くなってしまった…。

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