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バケモノの子

アニメ映画の感想がたまたま4本続きました。
製作国がイギリス、アメリカ、韓国ときて、最後は日本のアニメ映画です。
ボクは日本人なので、日本のアニメ映画には頑張ってほしいけど、
V3達成した『ラブライブ!』をはじめ、劇場版テレビアニメばかりで、
オリジナル作品があまり制作されないことに懸念を感じています。
制作されたとしても、劇場版以外なかなかヒットしないが悩ましいですが、
とにかく打席に立たないことにはヒットは打てないですからね。
アニメは日本が誇る文化なので、世界にもどんどん発信してほしいけど、
海外から評価されるのもオリジナル作品ですからね。

というか、本当に劇場版ばかりになるのが嫌な理由は、
テレビアニメをそれほど見れてないので、劇場版を観に行けないことです。
アニメ映画は好きなので、なるべくいっぱい観たいけど、
さすがに知らないテレビアニメの劇場版はハードルが高いです。
あと、テレビアニメの劇場版しか上映されない風潮だと、
ほとんどオリジナル作品な海外のアニメ映画も上映され難くなります。
実は日本のアニメ映画よりも海外のアニメ映画の方が好きなので…。
いや、逆に海外アニメ映画が好きなのはオリジナル作品が多いからなのかも。
日本のアニメ映画でもオリジナルが増えたら好きになるのかもしれません。

ということで、今日はヒットしそうな日本のオリジナル・アニメ映画の感想です。

バケモノの子
バケモノの子

2015年7月11日公開。
細田守監督の最新作。

人間界「渋谷」とバケモノ界「渋天街」は、交わることのない二つの世界。ある日、渋谷にいた少年が渋天街のバケモノ・熊徹に出会う。少年は強くなるために渋天街で熊徹の弟子となり、熊徹は少年を九太と命名。ある日、成長して渋谷へ戻った九太は、高校生の楓から新しい世界や価値観を吸収し、生きるべき世界を模索するように。そんな中、両世界を巻き込む事件が起こり……。(シネマトゥデイより)



本作は細田守監督のオリジナル長編4作目で、
(いや1作目『時をかける少女』はオリジナルではないかな?)
細田守監督のための製作会社スタジオ地図の2作目になります。
日本テレビなんかは、蜜月だったスタジオジブリ沈没後、
スタジオ地図を後釜に据えようと考えている節がありますが、
実際ジブリ亡き後の日本アニメ映画界を牽引するのは
スタジオ地図だと考えている日本人も多いかもしれません。
ボクは40億円以上の大ヒットを記録した前作『おおかみこどもの雨と雪』が、
生理的に全く受け付けなかったこともあって、
スタジオ地図および細田守のことは全く評価していませんが、
世間的な注目作なのは間違いなく、とりあえず観ておくことにしました。
『サマーウォーズ』も感性が合わなかったけど、『時をかける少女』は楽しめたし、
もしかしたら今回も楽しめる可能性も無きにしも非ずですが、
うーん、やっぱり今回も合いませんでした。
とはいえ予告編の段階で、たぶん合わないだろうとは覚悟していたし、
むしろ予想よりもマシだったかもしれないです。

風景はめちゃめちゃ写実的で綺麗ですね。
でもただ綺麗なだけで、良いとは思えません。
こんなものは写真を絵に落とし込んでいるだけだし、
時間と人足次第でどうにでもなることなので、センスは必要ないです。
細田監督はカメラを動かさない「同ポジション」という手法が特徴的だそうですが、
本人は定点観測で客観性を持たせるためと説明していますが、
実際は写真を絵に起こしているだけだから、風景が動かせないだけです。
その証拠に、動かさざるを得ない登場人物は写実的にはせず、
立体感の全くないノッペリしたアニメ絵で描かれています。
その写実的な風景画とアニメ的なキャラとのギャップが、
彼の特徴的な作風として認知されてしまっていますが、
その実態は風景とキャラの融和が図られていないだけで手抜きです。
ただ手抜きキャラとはいえ、あそこまで大量のモブキャラは圧巻ですけどね。
それとキャラデザにもセンスが全く感じられません。
人間キャラは美男美女ばかりだし、バケモノたちは在りがちなデザインで、
全く面白味がなく、全く魅力を感じられません。
マスコットを意識したであろうマッシロシロスケことチコすらも、
素人かよと思うほど、まったく捻りのないデザインで…。

でもキャラの魅力というのは外見だけから感じられるものではなく、
性格設定でいくらでも魅力的なキャラにすることが可能です。
ところが本作は、キャラの内面がほとんど描かれていません。
そのため魅力を感じられないどころか、何を考えているかも見えにくいため、
何の脈絡もなく理解に苦しい行動を取ることが多いです。
性質の悪いことに主人公の九太に最もその傾向が強いため、
主人公に全く感情移入出来ないんですよね。
傲慢かと思えば、次の瞬間素直になったり、性格が一定していません。
(情緒不安定なキャラ設定なので、当たり前かもしれないけど…。)
とにかく九太のファースト・インプレッションが最悪だったので、
その悪印象を最後まで覆せず、全く好感が持てない主人公でした。
このガキじゃなくて。バケモノの熊鉄の方を主人公にしたらよかったかも。
熊鉄は性格もシンプルなので、比較的感情移入しやすい気がしたし…。
ただデザインがベタすぎて、あまり好みじゃないですが…。
(予告編を観た時は、ずっと犬のバケモノだと思ってました。)

映画として、主人公に好感が持てないのはけっこう致命的ですが、
それでも物語の出来が良ければ、楽しめる可能性もあります。
しかし本作は物語があまりにも説明不足で、後付のような急展開が多すぎます。
好意的な客なら自己補完して納得してくれるかもしれないが、
中にはボクみたいに監督の才能に懐疑的な客もいます。
細田守程度で、好意的な客が大半だと考えて制作するのはまだ早いです。
以下、ネタバレ注意です。

9歳の蓮は母を交通事故で亡くします。
名家らしき親戚が引き取って大切に育ててくれると言ってくれるのですが、
彼は「お前らを見返してやる、大嫌いだ」と言って家出するのです。
この発言で、ボクはこのガキが大嫌いになりました。
何が気に入らないのか知らないが、気に掛けてくれる親戚にその態度はないだろと。
監督はコメントで彼を「ひとりぼっちの不幸な少年」と称していますが、
親戚の好意を受けていればひとりぼっちでも不幸でもなかったはずで、
ただの恩知らずでワガママで自業自得なクソガキですよ。
クソガキが家出して渋谷辺りをチョロチョロしていると、
小さなバケモノ(?)チコを拾い、目玉の親父みたいに髪の毛の中で飼います。
彼はネズミだと思ったみたいですが、頭に乗せて汚いとは思わなかったのか?
この後の展開で、チコはどうやら死んだ母の化身だと思われますが、
それも明言されるわけじゃないので、実際のところ、このネズミが何なのか不明です。

その後、蓮が道端でウジウジしていると、
人間界を散歩していたバケモノの熊鉄に声を掛けられます。
熊鉄はバケモノの世界「渋天街」の指導者的立場「宗師」の次期候補ですが、
現宗師から「跡目が欲しいなら弟子を取れ」と言われたので、
気まぐれに人間でも弟子にしてみようかと連をスカウトします。
熊鉄のバケモノ丸出しの姿にビビる蓮でしたが、
なんだかんだで彼の後を追って渋天街に入り、熊鉄の世話になります。
親戚拒んで何されるかもわからないバケモノと暮らすなんて意味不明な展開で、
もう少し熊鉄と暮らすことになる必然性が欲しかったです。
熊鉄は名前を教えない蓮に、9歳だから九太と名付けます。
蓮は世話になることにしたくせに、朝食に玉子かけ御飯を出され、
「生の玉子なんて生臭くて食えるか」と食べるのを拒否します。
生玉子が無理なんて酷い偏食ですが、よほど母に甘やかされてたんでしょうね。
ボクは玉子かけ御飯はけっこう好きなので、生臭いとか言われてイラっとしたけど、
後に食べることになった時に、嘔吐きながら食べられたのは不愉快極まりなく、
そんなに嫌なら食うんじゃねぇよクソガキ、と思っちゃいましたね。

ある時、渋天街でもうひとりの宗師候補、猪のバケモノ猪王山に会います。
九太を見た猪王山は熊鉄に「人間はひ弱ゆえ闇を宿らせるから捨てて来い」と助言。
熊鉄は拒否し、その場で次期宗師の決着を付けようとケンカになります。
猪王山は人望が厚いので野次馬は彼を応援しますが、
それを見た九太は「熊鉄もひとりぼっちなんだ」と共感。
これを見れば、熊鉄と猪王山のどちらが指導者に相応しいか一目瞭然なのに、
なぜ他の要素は関係なく、腕っぷしだけで宗師が選ばれるのか疑問です。
これなら強い動物のバケモノに生まれたら断然有利で、不公平ですよね。
まぁ現宗師はなぜかウサギなんですが、こいつはどうやって宗師になれたんだ?
ケンカは熊鉄が圧倒されるも、ウサギの現宗師の仲裁で治まり、
その後、九太は熊鉄に正式に弟子入りすることを決めます。
そして稽古が始まるが、熊鉄は誰かに師事したことがなく、他人に教えることも下手。
九太も弟子入りしたくせに、人に物を教わる態度じゃなく、全然上手くいきません。
そのくせ九太は、掃除・洗濯・炊事などは素直にやるんですよね。
傲慢なのか素直なのか、性格設定がブレまくりです。

稽古が上手くいかず悩む九太ですが、「なりきりなさい」という
母(たぶんチコ)の幻聴が聴こえ、熊鉄の動きを真似るようになります。
熊鉄も初めは真似されて鬱陶しかったけど、徐々に九太が可愛く思えてきて…。
そのうちに九太は見なくても熊鉄の動きがわかるようになるのです。
そんな九太と稽古しているうちに、熊鉄の動きも洗練され、強くなります。
そうこうしているうちに月日は流れ、九太は17歳になり、
声変わりもして宮崎あおいから渋谷将太になります。
急に8年も経っちゃうなんて、ちょっとビックリですね。
九太もかなり強くなりますが、鍛えてくれた師匠に敬意を示すどころか、
強くなって更に傲慢になり、家事すらもしなくなり…。
普通、武道なんて習ってたら、心身ともに鍛えられるはずですが、
彼の場合は体ばかりで心の成長が感じられません。

ある日も稽古方針の違いで、家を飛び出した九太。
渋天街をチョロチョロしているうちに、いつの間にか渋谷に戻って来てしまうのです。
どうやら8年ぶりの渋谷だったみたいですが、彼はなぜか図書館に行き、
ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』を読み始めるのです。
彼は近くの女子高生・楓に「この漢字、なんて読むの?」と聞きます。
どうも小学校中退なので、あまり漢字が読めないようです。
「鯨」も読めないで、なぜ『白鯨』なんて手に取るのかわかりませんが、
なんだかんだあって、楓が彼に勉強を教えてくれることになるのです。
九太は夢中で勉強し、なんと高認(大検)を受けることになるのです。
ちょっと、何この急展開?
もうどこがツッコミどころかわからないほどの超展開ですよ。

まず人間界に戻って、まず初めに図書館行くって何?
九太ってそんなに読書が好きなキャラでしたっけ?
それにもし読書に興味があるなら、渋天街にだって本くらいあっただろ。
「渋天街」も漢字だし、バケモノの世界に行ったから漢字が読めないなんて通らず、
人間界に戻った途端に勉強に目覚めるなんてのは納得できません。
しかもそんな短い時間に女子高生に勉強教わったところで、
大学を目指せるほど賢くなるなんて、どれだけ天才だと…。
高認を受けるために住民票を取りに市役所に行きますが、
長らく行方不明だったので、住民票は抹消されており、戸籍から再発行しますが、
市役所職員も未成年の失踪者が急に現れたんだから、
親戚なり警察なり、然るべきところに連絡するべきなのに、
坦々と住民票再発行の手続きするだけなんて、どんだけお役所仕事だよ。
しかも複雑な路地を正確な道順で辿らないと渋天街には行けないのに、
8年前にたまたま一回行けただけの彼が、難なく往復してるのも疑問です。
ここまでも変なところはあったけど、ここに来て筋が通らないことのオンパレードです。

自分の戸籍を見た九太は、父親の住所を知り、訪ねてみることにします。
父は母が亡くなる前に離婚していて、母の死も知らなかったため、
九太を引き取ることが出来なかったらしいのですが、
そもそも離婚の理由がちゃんと描かれていないので、
自分を置いて家を出た父に対する九太の気持ちが見えにくいです。
父はこの8年間も独身だったみたいだし、人の好さそうな普通の会社員で、
離婚するようなタイプには見えませんよね。
母も優しそうな人だったので、離婚にはよほどの理由があるはずなのに…。
九太が親戚に引き取られることを拒否したのは、父を待っていたからでしょうが、
結局本作は、そんな彼の家庭事情や、バケモノの世界で暮らそうとした理由、
急に勉強が大好きになった理由など、展開上重要なポイントが悉く説明不足で、
熊鉄よろしく「意味は自分で見つけろ」とばかりに、客に解釈を丸投げしています。
解釈してやる気もないボクみたいな客にとっては、
ただただ筋が通らないだけの、出来の悪い物語です。

説明不足すぎて九太の行動は理解できないことが多すぎます。
彼はこれまであえて変なことばかりに首を突っ込んできたくせに、
急に普通の人間になりたいと思い、熊鉄の家を出て、父と一緒に暮らそうと考えます。
しかし父から「一緒にやり直そう」と言われたことに腹が立ち、
その後、胸に穴が開いた自分の影の幻覚に遭遇し、
楓に「俺は人間かな、バケモノかな」と相談するのです。
その時、九太は楓に壁ドンするのですが、監督は流行に乗ったつもりだろうが、
とっくにブームは過ぎてるし、今更感が半端なく失笑ものです。
楓は本の栞紐を、お守りとして腕に巻いてくれます。

九太が久しぶりに渋天街に行くと、何やらお祭りムードで、
どうやら現宗師が宗師を引退して神になることが決まったようで、
新宗師を決定する熊鉄と猪王山の試合がついに行われるようです。
試合が始まり、九太が出て行って意気消沈している熊鉄は、
またしても猪王山に圧倒されますが、客席で見ていた九太が、
まるでセコンドのように熊鉄を応援し始めると、形勢は逆転。
猪王山の刀を弾き飛ばし、クロスカウンターでテンカウント取り、熊鉄勝利です。
ところが猪王山の長男の一郎彦が念動力で刀を飛ばし、熊鉄を背後から刺します。
一郎彦は赤ん坊の頃に人間界で猪王山に拾われた人間ですが、
父が負けたことで怒りが爆発し、闇が宿ったみたいです。
猪王山が前に言っていた「人間はひ弱ゆえ闇を宿らせる」というのは、
比喩ではなく、本当に闇の力が宿ってしまうということなんですね。
刀を飛ばしたのもバケモノの念動力ではなく、暗黒面のフォースです。
熊鉄が刺されて九太も暗黒面に落ちかけますが、腕の栞紐を見て正気に戻ります。
一郎彦は闇に取り込まれて姿を消し、熊鉄は病院に担ぎ込まれます。
九太は一郎彦と決着を付けるため立ち上がります。

でも九太はなぜか渋谷に行くんですよね。
一郎彦が自分を狙ってくるだろうことは想像に難くないのに、
わざわざ厄介事を人間界に持ち込むんじゃないよと…。
まぁ九太の目的は、一郎彦との戦いの前に、楓に『白鯨』を渡すことでしたが、
それは図書館の本だから、楓じゃなくて図書館に返却しろと。
案の定、渋谷で楓と会ってるところを、一郎彦が襲撃してきます。
人混みの中で刀を振り回して戦うのですが、一般人を巻き込まないためか、
モブキャラ描くのが面倒になったためか、楓が九太の手を引き地下鉄に乗り込み、
人気のない夜の代々木体育館に向かうのです。
一郎彦は楓が落とした『白鯨』を拾って、「鯨か」と呟き、
闇の力で巨大な鯨を出現させて、九太を追って来ます。
どうでもいいけど、一郎彦は小学校中退どころか小学校入学もしてないのに、
九太と違って「鯨」って漢字が読めるんですね。(挿絵見ただけ?)
鯨が渋谷で暴れると、なぜか渋天街で大爆発が起きるんですよね。
というか、あんなに巨大な鯨がスクランブル交差点に出現し、
大パニックになったにも関わらず、渋谷には怪我人も出ず…。
鯨は目視できるが監視カメラには映らないとか、都合のいい設定だらけです。
それにしても、普通の人間はいくらか弱くてもこんな闇の力は宿りませんよね。
だから闇の力に人間云々は全く関係ないはずですが、やはり説明なしです。
渋天街に関わった人間には闇が宿るって感じなのかな。

目を覚ました熊鉄は九太を助けるため、前宗師に直談判し、
神になる権利を譲ってもらい、大太刀の付喪神になります。
熊鉄の化身である大太刀はすぐに九太に届けられ、
それを手に一郎彦と戦うのかと思いきや、大太刀は九太の胸に吸い込まれます。
熊鉄が九太の「胸の中の剣」になったという、ちょっと謎な展開ですが、
九太はパワーアップし、自分の刀で一郎彦に居合切りをブチかまし倒します。
人間の一郎彦を抜身の刀で斬り付けるなんて立派な殺人行為ですが、
どういう理屈か、都合のいいことに一郎彦は死なず…。
やはり説明なしですが、きっと逆刃刀だったのでしょう。
九太は楓からもらった栞紐を一郎彦の腕に巻いてやると、
一郎彦は暗黒面から脱し、正気に戻るのです。
九太の場合は栞紐を見ることで楓のことを思い出して闇を抑えられるが、
楓と親しくない一郎彦に栞紐のお守り効果なんてあるはずないけど…。
目を覚ました一郎彦は栞紐を見て、「これは九太の…」と言いうので、
九太から貰ったものとしてお守り効果があるのかもしれないが、
別に特徴もない紐だし、試合会場で栞紐を付けた彼を、
かなり遠巻きに一度見ただけなのに、なぜそれが彼のものだとわかるのか…。

後日、神になれずに復帰した宗師が、九太を称えるための会を渋天街で催し、
そこに楓も招待するのですが、これで楓も闇を宿せるようになりましたね。
人間を渋天街に入れたことで、とんでもない騒動になったのに懲りない奴です。
これ以降、九太は渋天街には行かず、父と暮らし、大学生目指して高認を受けます。
これでめでたしめでたし、…ということになるのでしょうが、
うーん、せっかくバケモノの中でも最強の剣士だったのに、その特別な道を捨て、
平凡な人間の大学生になることが、果たしていい選択なのか…。
特別な人が普通の人になるなんて、全然めでたくないでしょ。

こんな全く筋の通らない、出来の悪い脚本で映画が作られるなんて信じられないが、
これが風通しの悪いワンマン体勢のスタジオの恐ろしいところで、
変だと思っても誰も監督に意見できないのでしょうね。
全盛期の宮崎駿のように才能あふれる監督なら、ワンマンでもいいでしょうが、
細田守程度の凡人だとちょっと厳しいでしょうね。
それでも本作を絶賛する声も多く、賛否半々くらいの印象で驚きです。
現に劇場では号泣している客もいたし、人を選ぶ作品なのかも。
日本テレビのゴリ押しもあって、ヒットすると思われますが、
こんな人を選ぶ作品が国民的アニメ扱いされるのは勘弁してほしいです。

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