ブログデンティティー

blog-dentity since 2013

エクソダス:神と王

昨年末には自身が監督した反日映画『アンブロークン』について、
「日本の反発気にしない」と嘯いていたアンジェリーナ・ジョリーですが、
先達て読売新聞の取材を受け、「これは反日的な映画ではない。」と弁解しました。
日本の反発気にしないんなら、日本の新聞に弁解する必要もないはずですが、
彼女の態度豹変の原因は「イスラム国」の日本人人質事件に違いないです。
日本に同情が集まる中、こんな日本を叩く映画を公開するのはタイミングが悪く、
日本の反発は気にしなくても、世界から反発されることを恐れ、保身に走ったのです。

「どの国であろうと反日感情を高める口実に映画を使うなら非常に失望する。」
とも取材で答えている彼女ですが、「どの国」とは中韓だけを指すわけではなく、
「イスラム国」も指していて、自分の映画が利用され、
テロ(日本人殺害)を肯定されないかと恐れているのでしょう。
なんにしても、現に反日感情を煽る作品なのは間違いないし、
このバカ女の失望したところで、日本のイメージが回復するわけでもない。
本当に反日を意図してないとしたら、それをちゃんと観客に伝えられておらず、
監督の才能がないのは明白で、一生女優だけしてろって感じです。
まぁ『アンブロークン』は実質的に日本では上映禁止なので、
ボクにはどんな酷い映画か確かめることも容易ではありませんが。

ということで、今日はエジプト、モロッコ、クェート、UAEなどイスラム諸国で
上映禁止になった映画の感想です。

エクソダス:神と王
Exodus Gods and Kings

2015年1月30日日本公開。
『旧約聖書』の「出エジプト記」のモーゼのエピソードを映画化。

紀元前1300年。最強の王国として名をはせるエジプトの王家に養子として迎えられて育ったモーゼ(クリスチャン・ベイル)は、兄弟同然のような固い絆で結ばれていたはずのエジプト王ラムセス(ジョエル・エドガートン)とたもとを分かつ。その裏には、苦境に立たされている40万にも及ぶヘブライの人々を救わねばならないというモーゼの信念があった。そして、彼らのための新天地「約束の地」を探し求めることに。過酷な旅を続ける一方で、彼はエジプトを相手にした戦いを余儀なくされていく。(シネマトゥデイより)



何やら預言者ブームみたいで、昨年はノアの生涯を描いた『ノア 約束の舟』、
今年初めにはイエスの生涯を描いた『サン・オブ・ゴッド』が公開されましたが、
本作ではモーゼの生涯を描いています。
その3本の預言者映画の中では、本作が最も面白かったというか、
無宗教のボクでも腑に落ちる内容で、けっこう楽しめました。
逆にモーゼを預言者と考えるクリスチャンやムスリムからは反発を受けたようです。
まぁユダヤ教的視点で描かれているのでムスリムが反発するのはわかるけど、
クリスチャンからも反発されるのは少し意外かも。
だけどいざ観てみるとそれも納得で、神(ヤハウェ)や神の御業の描き方が、
ちょっと容認しがたいものだったかもしれませんね。
神なんて神というよりもまるで悪魔みたいな感じだったし、
神の御業も自然現象と解釈できるものばかりでしたから。
でも神を崇めていないボクにとっては、その描き方の方が腑に落ちます。
本作の主人公である預言者モーゼも当初は無神論者だったし、
神に出会ってからも神に懐疑的で反抗的な人物として描かれているので、
ボクにとっても感情移入しやすかったです。

前述のように、いくつかのイスラム諸国では上映禁止になった本作ですが、
だいたいの理由は本作がユダヤ教的視点で描かれているからだけど、
エジブトでの上映禁止はそれに加えて、歴史描写が不正確という理由です。
ピラピッドをヘブライ人が建てたという描写などが問題になったみたいで、
まぁ確かにピラミッドを誇るエジプト人にしてみれば不愉快な設定でしょう。
実際に本作の原作である『旧約聖書』にもそんなことは書いてないだろうし、
本作のオリジナル設定なので、不正確なのは当たり前ですかね。
(まぁ『旧約聖書』自体、歴史的に正確なわけでもないですが。)
でも無駄にオリジナル設定を足しているわけではなく、
もちろん面白い作品にするための改変です。

本作の最大のオリジナル設定は、なんと預言者モーゼが、
あの有名なファラオ、ラムセス二世と兄弟同然(従兄弟?)だったというもの。
『旧約聖書』にはこの時代のファラオがラムセス二世とは明記されてませんが、
ラムセス二世の統治した時代と近い年代だったみたいで、
「出エジプト記」のファラオをラムセス二世と考える人もおり、それを採用。
どちらも歴史的超有名人なので、その2人が面識があったなんて展開は、
なんだか興味深いですが、更に面白いものにしようと、
更に踏み込んで2人は兄弟同然だったという設定にしたみたいです。
実際はモーゼの時代の方がちょっと新しいみたいで、
モーゼの時代のファラオもラムセス二世ではないと思いますが、
たとえ歴史的に不正確でも面白い方がいいに決まっています。
ラムセス二世は数々の神殿を建造したことでも有名なので、それを踏まえて、
奴隷だったヘブライ人にピラミッドを作らせたという設定になったのでしょう。

ボクはユダヤ教徒でもクリスチャンでもムスリムでもないので、
『旧約聖書』を読んだことがないので、預言者モーゼのエピソードも詳しくは知らず、
モーゼ自身についても「海を割った魔法使い」くらいの認識でした。
オリジナルの多分に含むとはいえモーゼのエピソードを知ったのも本作が初めてで、
なかなか興味深かったし、主教について勉強にもなりました。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の正典(啓典)ですから、
三宗教の信者数を考えれば世界人口の半数近くが知っているわけだし、
そんな有名な御伽噺なら後学のためにも知っておいて損はないですもんね。
以下、ネタバレ注意です。

紀元前1300年、エジプトはヘブライ人を奴隷にして強制労働させていました。
王家のひとりモーゼは次期ファラオのラムセスと兄弟のように育てられます。
ある時、エジプトはヒッタイト軍と戦うことになりますが、
その前に巫女がエジプトの女神セクメトから神託を受け、
「指導者が救われ、救った者が民を率いる」というお告げを受けます。
戦争中に軍を指揮するラムセスを救ったものが
後に民を率いることになるだろうということで、ヒッタイト軍との戦争で、
戦車から転落し危機的状況だったラムセスを救ったのはモーゼで、
つまりモーゼが将来民を率いることになるという予言です。
後にモーゼは本当に民を率いてエジプトから脱出することになるわけで、
見事に予言を的中させた女神セクメトって凄いですよね。
ボクがモーゼだったら、ヤハウェよりセクメトを信仰します。
その頃のモーゼはエジプトの神もアブラハムの神も信じておらず、
その予言も別に気にも留めていませんでしたが、予言を信じるラムセスは、
モーゼがいつか王座に就くことになるのではないかと懸念し…。

ある時、ピトムの地で奴隷たちに不穏な動きがあると報告を受け、
ラムセスの代理としてモーゼがピトムの総督に会いに行きます。
総督は増えすぎたヘブライ人を間引くことで謀反を防ごうと考えていますが、
モーゼはむしろ総督のまるでファラオのような豪勢な暮らしを問題視し、
不正がないか調査して、ファラオに報告すると警告します。
奴隷の謀反の疑いは、ヘブライ人の年長者と話し合いで解決することに。
モーゼも奴隷の酷すぎる境遇は改善すべきと思っているみたいです。
年長者ヌンとの話し合いで、モーゼは予期せぬ驚くべき事実を聞かされます。
ヌンはモーゼが奴隷出身のヘブライ人だと言うのです。
モーゼが生まれた時に「エジプトに災いをもたらす者が生まれる」と予言があり、
ファラオがヘブライ人の赤子を片っ端から殺すように命じますが、
モーゼの母は息子が殺されないように生まれたばかりのモーゼをナイル川に流し、
それをファラオの娘が拾って我が子として育てたらしいのです。
あまりに都合がよすぎる話ですが、このあたりはほぼ原作通りみたいですね。
なぜかモーゼの実姉ミリアムも王宮に仕えることになるのですが、
そのあたりの経緯はよく理解ませんでした。

その話を立ち聞きした男が総督に密告し、モーゼに不正を暴かれそうな総督は、
モーゼ失脚を企て、その話をファラオになったばかりのラムセスに密告し、
いい口実を得たラムセスはモーゼを追放します。
…なんて書くとラムセスが悪い奴のようですが、本作のラムセスは人情味のあり、
兄弟同然であり命の恩人でもあるモーゼのこともちゃんと気に掛けており、
死刑ではなく追放にしたのもそのためです。
宗教映画なので信仰の敵はもっと極悪人に描かれるのが普通だけど、
本作は意外と公平で、無宗教のボクも納得しやすいです。
…いや、公平どころか、ラムセスやエジプトに同情してしまう展開が待っており、
ユダヤ教徒やクリスチャン以外の人が観たら、
ヤハウェを嫌いになるんじゃないかと思うほどです。

エジプトを追放されたモーゼは紅海を越え、遊牧民の娘ツィポラと結婚。
息子ゲルショムも生まれ、羊飼いとして幸せに暮らします。
ツィポラはモーゼと違って信仰心が強いように描かれていましたが、
彼女自身は何を信仰しているのかちょっとよくわかりませんでした。
エジプト人でもヘブライ人でもなさそうだけど…。
なんかツィポラの家に初めて招待された時から、
モーゼはやたら羊の扱いが上手かったけど、元王族なのに何故?
追放されてから9年が経ったある日、モーゼは羊を追いかけて、
神の山と呼ばれる禁断の山に登って、がけ崩れに巻き込まれ気絶し、
神の化身と思われる偉そうな子供の幻覚(?)を見ます。
その子供はモーゼに「同胞(ヘブライ人奴隷)を見に行け」と告げ、
意識を取り戻した彼は暫く後に妻子を残し、ピトムに向かうのです。
なぜ信仰をしていない神の言うことを聞くのか疑問ですが…。

ピトムで年長者ヌンとその息子ヨシュアに再会し、実兄アロンにも会います。
そういえば、実姉ミリアムはまだ無事なんですかね?
同胞たちに会い、モーゼはヘブライ人奴隷のために立ち上がる決心をして、
王宮の馬小屋に侵入し、ラムセスに剣を突き付け、
「ヘブライ人の権利を認め対価を払え、さもなくば自由にしろ」と要求。
しかしラムセスから「経済的に不可能だ」と拒否され、退散します。
翌日、ラムセスはモーゼに死刑を宣告し、指名手配して、
モーゼが捕まるまで毎日ヘブライ人家族一組を公開処刑にします。
そんなことをされたらモーゼを匿うヘブライ人がいなくなると思いきや、
彼らはモーゼに従い、武器を作り、弓の訓練をして、蜂起の準備するのです。
でもモーゼは直接エジプト軍と戦う気はないみたいで、
兵糧庫などを燃やして補給路を断ち、ジワジワとエジプト兵を疲弊させ、
エジプト軍内部からラムセスに要求を飲むように進言させるつもりです。
ある意味平和的とも言えるけど、あまりに時間がかかる悠長な消耗戦で、
その間にも自分のせいで同胞が女子供も含め毎日公開処刑されてるのに、
モーゼは何とも思わないのでしょうか?

その作戦には神も業を煮やし、また子供の姿で現れて、
「そのやり方は時間がかかるからダメだ」と偉そうに告げます。
モーゼは「あんたは400年も奴隷を放って置いたくせに」と的確にツッコむが、
神は「放って置いたのは私だけか?」と責任転嫁でスルー。
神は「もういい、私が自らやる」とばかりに、エジプトに十の災いを起こします。
これがあまりに凄惨な方法で、神の御業ではなく悪魔の所業に見えました。
神も補給路を断ちにかかるのですが、兵糧庫を燃やすなんて生易しいものではなく、
まずナイル川の水を血に染めてしまい、飲み水を断ってしまいます。
原作の十の災いのひとつめは水を血に変えるというものでしたが、
本作は神の御業を全て自然現象で一応説明できるようにしてあるので、
このナイル川が血に染まるのも、別に水が血に変わったわけではなく、
上流でワニが人間や動物を喰い荒らし、水が血に染まっただけになります。
まぁそれはそれで、その程度でナイル川が血に染まるなんてあり得ない話ですけど。

原作通り、続いて蛙が大量発生します。
蛙が大量発生したところで、ちょっとキモいだけで、要求飲むはずないけど…。
更にブヨ、アブも大量発生し、害虫を媒介に伝染病が蔓延し、
ラムセスを含むエジプト人に皮膚病が大流行します。
更に雹が降り、イナゴが大量発生し作物も全滅です。
うーん、なんというか、水を汚染したり、動植物を死滅させたりと環境破壊も甚だしく、
本当に偉大な神ならもっとやりようがあるだろって感じです。
しかしラムセスは屈さず、要求を飲んで奴隷を解放するどころか、
「俺こそ神だ」と奴隷の仕事の量を2倍にするなど、更にヘブライ人を苦しめます。
十の災い(まだ八の災いだけど)で苦しむのはエジプト人だけではなく、
弾圧が強まりヘブライ人まで苦しめている誰も得しないアホの所業で、
モーゼの神に対する猜疑心は強まるばかりです。

そんな折、また前に神が子供の姿で現れて、自分の非を認めるかと思いきや、
「神を騙る傲慢な王に最悪の災いを」とモーゼに告げます。
テメェも神の名を騙る悪魔だろって思っちゃいますね。
モーゼもそんな傲慢な神に対し「俺は関わらないぞ」と反発し、
最悪の災いを防ごうと要求を飲むようにラムセスを説得します。
…が、当然ラムセスは聞く耳を持たず、最悪の災いは執行されるのです。
どんな災いかと思ったら本当に最悪中の最悪な悪魔的所業で、
日蝕を起こし、その陰に入ったエジプト人の子供が全員死ぬというものでした。
子供には何の罪もないのに、あまりに陰湿で残酷な災いです。
神に選ばれしヘブライ人の子供たちは陰に入っても死にませんが、
こんな選民思想丸出しの差別的な神による宗教なんてロクなものではなく、
これを神の御業と称えるような輩がいることに背筋が凍ります。
こんなものを信じている人が多いようでは、世界が平和になるはずないです。

ラムセスの幼い息子も死んでしまい、彼はモーゼたちヘブライ人に
「おまえらは子を殺す神を崇めるのか」と当然の批難をぶつけますが、
「もう出て行ってくれ」とヘブライ人奴隷を解放(追放)するのです。
これは要求に屈したというよりも、嫌悪感が限界を超えて、
もうヘブライ人なんかとは関わりたくないと思ったのでしょうね。
モーゼはヘブライ人を率いて、神との約束の地カナンに向かいます。
しかし暫くするとラムセスの怒りが再燃し、軍を率いてヘブライ人を追い掛けます。
再び奴隷にするためではなく、皆殺しにするためです。
まぁ子供まで殺されたら、そう考えるのも無理からぬことです。
モーゼやヘブライ人に罪はないけど、彼らの背後にいる邪神は本当に許しがたく、
ボクも「頑張れラムセス」と思ってしまいました。

とりあえず大勢のヘブライ人を引き連れてエジプトを発ったモーゼですが、
行ったこともないカナンへの道なんてわかるはずもなく、
(約束したくせに)神も全く導いてくれないので迷子になった挙句、
紅海の大海原に行く手を遮られ、後方からはエジプト軍も迫り絶体絶命です。
しかし、エジプト軍が目前まで迫ったところで、突如海が割れ、
対岸まで歩いて進めるようになるのです。
神の御業でしょうが、本作ではこれも自然現象として説明する余地を作り、
どうやら隕石による地震の影響で、ものすごい引き潮になったようです。
なので厳密には海が割れるというイメージとは少し違いますが、
こっちの方がリアリティがあって断然いいし、まだ納得できます。
ヘブライ人たちは対岸まで渡り切りますが、エジプト軍も割れた海に突入。
しかし海が閉じるというか、津波が襲ってきたため、エジプト軍は撤退。
ところがラムセスだけはパイプラインの中を突き進んで来ます。
そんなラムセスにモーゼは対峙しますが、2人はあえなく津波に飲まれ…。
あの規模の津波に飲まれたら人間なんてほぼ確実に死ぬと思うけど、
モーゼは運よく生き延び、対岸に打ち上げられます。
もちろんラムセスもこんなところで死ぬはずはありません。
なにしろ彼のミイラは現存していますからね。

なんとか出エジプトに成功したモーゼたちヘブライ人は、
カナンを目指しますが、カナンは神が勝手にヘブライ人の土地と決め、
預言者アブラハムに約束した場所で、たぶんイスラエル周辺のことですね。
(神が変な約束をしなければパレスチナ問題も起きないのに…。)
モーゼは自分たちがカナンの原住民たちにとって侵略者になるとわかっていて、
カナンを侵略するためにはヘブライ人を統率する必要があると考え、
妻子に会うついでに、再び神の山に登って、神から与えられた戒律を記します。
それが十戒ですが、モーゼはやはり神に猜疑心をまだ持っているのか、
自分の納得できる戒律しか記しません。
これは十戒は神の意志を完全に反映したものではないと言いたいのでしょう。
後に新しい預言者イエスがモーゼの律法を終わらせるわけだから、
キリスト教映画としては十戒を完璧なものと描くことは出来ないのでしょう。
まぁキリスト教映画というには、あまりに父なる神をネガティブに描きすぎですけど。

宗教映画というよりは、エジプトを舞台にした歴史フィクションであり、
災害満載のディザスター・ムービーとして見応えのある娯楽大作でした。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://blrpn.blog.fc2.com/tb.php/1470-71ffc1d3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad