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円卓 こっこ、ひと夏のイマジン

朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』の視聴率が低迷しているという記事を読みました。
関西を代表する大人気番組でしたが、そういえばボクも最近あまり見なくなりました。
ボクは土曜日も早朝から出勤なので、金曜深夜のこの番組は見づらいのですが、
それでも寝る前に無理のない範囲でちょこちょこ見ていたのですが…。
たしかに昔ほど面白味を感じなくなっていたのですが、それはネタ切れもあるだろうし、
ボク自身が飽きただけかとも思ってましたが、記事が指摘する通り、
出演者の若返りと称して、探偵8人のうちの3人が入れ替わったのが原因なのかも。
それ以前からマンネリは感じてましたが、ボクがほとんど見なくなったのもその時期で、
探偵の入れ替わりが視聴打ち切りの決定打となったのかも。
ベテラン3人を降板させ、若手芸人3人を起用したわけですが、
新しく探偵となった若手のスリムクラブ真栄田やハライチ澤部らは嫌いではないです。
なので彼らが探偵になることには不満はないのですが、
世代交代のスピードがちょっと急激過ぎたのではないかと思います。
今まで通り、ひとりずつチェンジしていけばよかったのに、
なぜこんなことになったかといえば、ベテランの桂小枝の不祥事が原因です。

朝日放送は不祥事での降板では番組のイメージにも傷が付くと考えて、
桂小枝と同時に他のベテラン2人も巻き添えに降板させ、
若返りを図る目的でのチェンジであると誤魔化したのでしょう。
全ての元凶は桂小枝にありますが、今の番組の現状を憂いてか、
視聴者からは(他のベテランを差し置いて)桂小枝復活を望む声も多いようで、
このままでは実現しそうな気もしますが、ボクは桂小枝の復活には断固反対です。
彼の起こした不祥事、通称「プリン不倫」はあまりにも酷すぎます。
「不倫」はまだしも「プリン」が問題で、あんな変質者をテレビ出演させてはいけません。
桂小枝とは同郷なので、それまではボクも応援していたので尚更残念です。

ということで、今日は世界に誇れる同郷の星の主演映画の感想です。

円卓 こっこ、ひと夏のイマジン
円卓

2014年6月21日公開。
西加奈子の小説を、行定勲監督が映画化。

大阪の団地で祖父母と両親、そして三つ子の姉たちと暮らす小学3年生の渦原琴子、通称こっこ(芦田愛菜)は、大家族の温かな愛情に包まれながらいつも不満だらけで、孤独に憧れていた。家と学校という限定された世界の中でいろいろなことに悩み、考えるこっこは、祖父・石太(平幹二朗)が教えてくれたイマジンという言葉を胸に少しずつ成長していく。(シネマトゥデイより)



本作は天才子役・芦田愛菜ちゃんの単独初主演映画らしいです。
初主演というのは意外でしたが、彼女の演技は大人の主演俳優さえも食うので、
いつも主演のような気がするだけかもしれません。
なんだかあらぬ誤解をされそうな言い方かもしれませんが、
ボクは芦田愛菜ちゃんの活躍にはとても注目しています。
というのも、彼ボクは兵庫県西宮市出身ですが、愛菜ちゃんは同郷の星だからです。
西宮市は約50万人都市で、出身著名人も多いのですが、
男性俳優には堤真一や生瀬勝久など、それなりの人物を輩出していますが、
女優はいまいちで、(あまり嬉しくないけど)藤原紀香くらいです。
なので愛菜ちゃんには将来、女優として活躍してくれることを期待しています。
まぁ立派な女優になるのを待たずとも、子役界ではすでに群を抜いた存在で、
弱冠9歳にして、U-19の芸能人の中では演技も一番達者なんじゃないかな?
世界的大ヒット作『パシフィック・リム』でハリウッドデビューまでしちゃいました。
もはや西宮の生んだ歴代最高の役者といっても過言ではない活躍です。

すでに活動拠点は東京のようですが、本作は大阪を舞台にした物語なので、
愛菜ちゃんがソウルランゲージである関西弁を使う役柄なのも嬉しいです。
西宮が舞台だった『阪急電車』でも関西弁を使ってましたが、
その時は群像劇だったのであまり出番が多くなく、台詞も少なかったですが、
今回はほぼ出ずっぱりの主役で、台詞も当然多いですからね。
とはいえ、同じ関西弁でもボクらが使う神戸弁と大阪弁はかなり違い、
その違和感はどうしても拭いきれませんでしたが…。
大阪弁はよくわかりませんが、大阪市の大阪弁よりもかなりコテコテだったので、
ほとんど奈良に近い都市が舞台だったのかもしれません。(鹿いるし。)
ただ登場人物の使う関西弁のバリエーションがマチマチだったので、
方言指導に一貫性がないようにも感じられました。
とはいえ関西弁の愛菜ちゃんはいつもより生き生きしていたように感じます。
たぶん今では標準語の方が使い慣れているでしょうが、
彼女に流れる関西人の血がそうさせるのでしょう。

愛菜ちゃんは幼くして天才子役と持て囃されてしまったため、
およそ他の子役には出来ないシリアスで難しい役が宛がわれることが多いですが、
本作を観て、彼女は実はコメディエンヌ向きじゃないかと思いました。
彼女の類まれなる表現力や表情の豊かさはコメディでこそ活かされますね。
方言による印象もあるでしょうが、いつもより魅力的だし、単純に可愛かったです。
子供は可愛いものだし、可愛いだけ子役なんて腐るほどいますが、
内面から魅力を溢れさせるような演技をする子役は彼女だけです。
…いや、ハリウッドにはそんな子役もけっこういますが、日本では知りません。
そのせいか、海外映画では子役主演の子供の世界を描いた作品は多いですが、
日本には演技は出来ても主演を張れるだけの魅力のある子役はいないため、
子役主演の映画はほとんどありませんよね。
本作はそういう意味でも貴重な作品で、ぜひヒットしてほしいところですが、
関西舞台の映画(というかご当地映画)はヒットしないというジンクスが…。
本作も在阪民放5局が共同製作してますが、
東京キー局製作と違って、全国に宣伝が行き届いてませんよね…。
とても面白い作品なので全国の人に観てもらいたいですが…。

ボクが地元愛で作品を過大評価しているだけだと思われそうですが、
それが全くないとは言えないが、それを差し引いたとしても楽しい作品のはずです。
その証拠に、劇場に笑いが溢れ、めちゃめちゃ盛り上がってましたからね。
関西の劇場なら盛り上がって当然と思われるかもしれませんが、
特に地元愛なんて意識してないはずの子供たちがとても喜んでいました。
ボクの隣の席の幼い姉妹なんて、興奮しすぎかピョンピョン跳びはねてました。
正直ちょっと迷惑でしたが、微笑ましいので許します。
(保護者には少しくらい注意しろよとは思いましたが…。)
こんなに喜ぶなんて、子供たちは子供が主役の映画に飢えているんじゃないかな。
親御さんはお子さんを本作に連れて行ってあげると喜ばれると思いますよ。

それなら子供は楽しめる子供向け映画だと思われるかもしれませんが、違います。
「小学三年生を経験したすべての大人たちへ…」というキャッチコピーの作品で、
実は大人向けであり、むしろ子供は本作の本質的は理解してないと思います。
それでも表面的にはわかりやすいコメディなので、子供も楽しめるのですが、
その裏にあるテーマは大人にとっても興味深いものです。
普遍的なノスタルジーとでもいうのか、小学生の頃の感情が蘇り、
子供たちとはまた違った子供目線で本作を楽しむことができます。
子供と大人の本作の印象の違いこそが、本作の主題でもあるんですよね。
子供には理解できないけど、大人になったからこそ汲み取れる本作の意図、
その変化こそが「イマジン」なのでしょう。
以下、ネタバレ注意です。

小学3年生のコッコこと渦原琴子は、平凡を大嫌いで好奇心旺盛な女の子です。
彼女は初めて聞いた気になる言葉をジャポニカ学習帳に書き留めるのが趣味です。
ある日、同級生の香田めぐみちゃんが眼帯をして学校に来るのですが、
朝の会で担任のジビキ先生から「香田がものもらいになりました」と報告があり、
"ものもらい"という言葉がカッコいいと思ったコッコはすぐさまジャポニカにメモし、
めぐみちゃんの真似をして眼帯を付けるのです。
後に祖父から「ものもらいは麦粒腫の通称だよ」と聞いたコッコは
"ばくりゅうしゅ"という言葉もカッコいいと思います。
でも父から聞いた麦粒腫の違う通称である"めばちこ"はイマイチな印象で…。
余談ですが、ウチの地元でも麦粒腫のことは"めばちこ"と言いますが、
ボクもこれはダサいと思っているので"ものもらい"と言うことが多いです。
新しく覚えた言葉に影響を受けるコッコの気持ちは何となくわかりますね。
大人になって語彙力もそれなりに付いたので、新しい言葉に出会うことも減ったけど、
子供の頃は毎日のように新しい言葉を発見してたんでしょうね。
今思えば語彙力のない子供時代にどうやって話せていたのか不思議かも。

ある日、学級会の最中に委員長の朴くんが倒れて病院に運ばれます。
その後、ジビキ先生から「朴くんは不整脈だった」と報告を受け、
"ふせいみゃく"という言葉に惹かれたコッコは、ものもらいの時と同じように、
今度は不整脈で倒れた朴くんの真似をするのですが、先生から怒られてしまいます。
ものもらいの真似は怒られなかったのに、なぜ不整脈の真似は怒られたのか、
コッコは不思議に思い、朴くんに直接聞きに行きます。
朴くんは不整脈になった時の気持ちを「死ぬかと思って嫌だった」と言いますが、
コッコは「死にそうになるなんてカッコいい」と更に憧れるのです。
平凡を嫌う彼女は死とか孤独とか、普通なら嫌なものに惹かれるのです。
病気もそのひとつで、とにかく普通じゃない状態をカッコいいと感じているのですね。
ジャポニカの最初のページにも"こどく"と書かれていて、彼女の最も好きな言葉ですが、
8人家族で常に賑やかな環境にいる彼女にとっては、
孤独は普通ではない、とても憧れる状態なのでしょうね。
コッコにとっては普通の家庭環境だけど、周りからすれば普通ではないです。
なにしろ三つ子の姉がいるなんて、かなり珍しい状況ですからね。
でも生まれた時からそうだから、コッコにとってはそれが平凡なのでしょう。
ちなみにエンドロールを観て驚いたのですが、コッコの三つ子の姉
理子と眞子と朋美は、青山美郷という若手女優のひとり三役なんですね。
三人一緒にいるシーンも多かったけど、わざわざ合成していたわけですが、
三つ子の女優見つけるよりは合成の方が手間が省けるのかな?

朴くんに不整脈の感想を聞きに行った時、
朴くんが在日韓国人四世だったということ知ります。
コッコは"ざいにちかんこくじん"が何なのかを知りませんが、
"四世"という言葉に「王様みたい」と感じ、在日韓国人に憧れを抱くのです。
生粋の日本人で純真なコッコが、わけもわからず在日韓国人に憧れるなんて、
嫌韓なボクとしては我慢できない展開で、とんだ売国映画かもしれないと思いましたが、
どうもそういうわけではないようです。
なにしろコッコは両親がボートピープルだったベトナム難民の同級生ゴックンにまで、
「"ぼーとぴーぷる"って何かカッコいい」と憧れていますからね。
つまり本作においては、ボートピープルも在日韓国人も一様に、
本来憧れるようなものではない可哀想な人として描いているのです。
しかし同級生にベトナム難民がいるなんて、なかなか珍しいですね。
大阪は100人に1人以上が在日なので、在日韓国人は珍しくないけど…。

ある日、母が妊娠しますが、弟妹が生まれることになるのに、コッコは全く喜びません。
そのせいでお茶の間は変な空気が流れ…。
うーん、いくら平凡なことが嫌いでも、子供だったら普通は喜ぶよね。
いくら孤独に憧れているといっても、この心境はちょっと理解できなかったかな。
コッコはそのことを彼女の最大の理解者である大親友の男の子ポッサンに相談します。
「嬉しないなら喜ばんでええ」というポッサンに、コッコは不整脈の件も相談。
なぜものもらいの真似はOKで、不整脈の真似は怒られたのかを聞きます。
ポッサンは吃音で、昔コッコが吃音を真似して、その時も先生に叱られたそうですが、
彼はコッコがカッコいいと思うものを真似すると知っていたので、嫌な気分にはならず、
むしろ吃音で周りから可哀想と思われることが嫌だったので自信が持てたそうです。
その経験から、真似することは馬鹿にしていると取られることがあるから、
相手が嫌がってるなら真似はしない方がいいと助言します。
うーん、コッコと同じ小学三年生なのに、ポッサンは大人ですね。
(まぁ彼の寿老人徘徊説は子供らしく無茶苦茶でしたが…。)

しかしカッコいいから真似しているコッコには、嫌がってるかなんて見極められません。
その話を聞いていた祖父は、相手がどんなことを考えているか想像すること、
成長に従って自然と身に着く想像力が、"イマジン"だとコッコに説きます。
イマジンがわからないと自分や周りがシンドイ思いをすることになると言われ、
コッコはイマジンのためにも、人が何を考えているか知りたいと思います。
そして一学期の終業式の日に、コッコは前の席の女の子・幹成海が、
ノートの切れ端に「しね」と書いて小さく折りたたみ、机の中にしまうところを見てしまい、
彼女がなぜそんなことをしているのか無性に気になるようになります。
いつもの無神経なコッコなら、すぐに理由を聞くところでしょうが、
イマジンを実践したせいか聞けず仕舞いで、気になったまま夏休みに突入します。
コッコは気になりすぎて幹成海のことを夢に見たりするのですが、
これ以降のコッコの精神状態は複雑で、ボクにも理解できないところが多いです。
ボクもまだまだイマジンが足りないというところでしょうか。

夏休みもいつも一緒だった大親友のポッサンが帰省したので、
コッコはひとりで過ごすことになります。
ひとりで人目につかない草っぱらにやって来て、
血を吸いによって来た蚊を採集するという独創的な自由製作をしていると、
Sと刺繍された鼠色の繋ぎを着た長髪の男から「ハロー」と話しかけられます。
異様な動きで近づいてくる鼠人間から「御尊顔を踏んでくれはるのん?」と言われ、
コッコはわけもわからず、言われるまま寝転んだ彼の顔を踏んであげるのです。
不審者にも程があるほどの不審者で、はじめは熱射病か何かで
コッコが変な幻覚でも見てるんじゃないかと思いました。
しかし後に警察に捕まったので本当に実在していたみたいです。
子供たちは鼠人間の姿や動きに大爆笑していましたが、
ボクたち大人にとっては全く笑えない不気味な光景でした。
いくら変わり者のコッコといえども、なぜ言われるがままにするのか不思議。
彼女の家族も不審者とは関わってはいけないとちゃんと教育すべきですが、
この不審者で爆笑する子供たちを見ると、この子らは大丈夫なのかと心配になります。

鼠人間の御尊顔から血が出るほど踏みつけた後、漸く怖くなったのかコッコは逃げ、
日課のウサギの散歩をするため小学校の飼育小屋に行きます。
ウサギを散歩させる途中、コッコは寝転んでウサギを顔の上に乗せてみるのです。
おそらく鼠人間が何を考えていたのか知りたいと思ったのでしょうね。
ウサギが暴れて、顔に怪我するほど頑張ってみるのですが、
変質者の気持ちなんてコッコに理解できるはずもなく…。
帰宅後、祖母の誕生会が行われますが、コッコは浮かない顔…。
誕生日を祝うなんて普通なことが嫌だったのか、
誕生日を忘れていて気まずかったのか、よくわかりませんが、
この時にコッコが何を考えていたのか、全くわかりませんでした。

誕生会の後、コッコが終戦記念特番を真剣に見ている祖母を眺めていると、
姉の朋美がこっそり借りていたジャポニカを返しに来ます。
ジャポニカを受け取ったコッコは何も言わずに窓の外に捨てるのです。
大切にしていたジャポニカになぜそんなことをしたのか、わかりませんでした。
単なる朋美への怒りとは考えにくいのですが、
幹成海の件と鼠人間の件を考えすぎてパニックになったのかな?
その夜、ウサギからばい菌をもらったのか、コッコは結膜炎になり、
真似ではなく本当に眼帯をすることになります。

新学期が始まりますが、幹成海は欠席しており、気になったコッコは、
彼女に会いに行くため、プリントを届ける役目を引き受けます。
幹成海の家に行き、なぜ欠席したのかを聞くと、
彼女は「学校がつまらんから休んだ」とあっさりズル休みを認めるのです。
てっきりイジメにでも遭ってるのかと思いましたが、そうでもないようです。
なぜ紙に「しね」と書いたのかも聞くと、彼女は「よくわからん」と答えますが、
コッコは何かを掴んだようで、納得するのです。
おそらくコッコはイマジンを使って、彼女の気持ちを理解したのでしょうね。
ある日、コッコはポッサンと2人でまだ誰も登校していない学校に行き、
ジャポニカの切れ端に好きな言葉をいろいろ書いて小さく折りたたみ、
幹成海の机の引き出しに詰め込みます。
久しぶりに投稿した彼女は、その紙切れを読んで、笑顔になるのです。
幹成海が学校をつまらないと思わずに済むようにコッコが考えたのでしょう。
コッコもイマジンを身に着け、母の妊娠も喜べるようになり、めでたしめでたしです。

相手の気持ちになって考える想像力(イマジン)の大切さを描いた物語で、
子供たちにもぜひ観てもらいたい、とても道徳的な内容ですが、
子供ではそこに気付けるかは微妙かな。
でも大人だって相手を慮る想像力は欠かせません。
しかしボクも含めて、想像力を活かせている大人はなかなかおらず、
本作で小学生のッ気持ちに戻り、想像力の大切さを再認識するのもいいですね。

せやけど芦田愛菜ちゃんはホンマに天才子役やわー。

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