ブログデンティティー

blog-dentity since 2013

ウォルト・ディズニーの約束

先達て、知人が東京ディズニーランドに遊びに行くと言うので、
園内の売店でマーベルのグッツを買ってきてほしいと頼みました。
その時点で「たぶんない」と言われていましたが、実際になかったみたいで…。
他にもピクサー関係のグッツも頼んだのですが、それもあまり多くないみたいで、
結局ミッキーマウスのお菓子を戴きました。
ボクが「ピクサーもマーベルもないのに、どこがディズニーランドだよ」と言うと、
知人は「ディズニー映画とディズニーランドは別物」と…。
「東京ディズニーランド」の実態は「東京ミッキーマウスランド」で、
たしかにミッキーマウスなんて、ディズニー映画にほとんど出ませんからね。
『アナと雪の女王』と同時上映の短編は『ミッキーのミニー救出大作戦』だけど、
動くミッキーマウスを(サウンドロゴ以外で)スクリーンで観たのは、
『ファンタジア2000』の「魔法使いの弟子」以来です。
ボクも常々ディズニー映画にも出ないネズミが、
なんでディズニーの看板面してるんだと違和感を覚えていたので、
ディズニー映画は大好きだけど、ミッキーマウスは嫌いでした。
なのでミッキーだらけのディズニーランドにも行ったことがありませんし、
正直ディズニーランドが好きな人をディズニーファンだとは認めたくないです。
マーベルなど実写も含めディズニー映画をちゃんと観てる人なら別ですが。

ということで、今日は実写のディズニー映画の感想です。

ウォルト・ディズニーの約束
Saving Mr Banks

2014年3月21日日本公開。
1964年の名作ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の製作秘話を映画化。

1961年、パメラ・L・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、ウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)が長年熱望する「メリー・ポピンズ」の映画化について話し合うためにロサンゼルスに向かう。傑作児童文学の著者である彼女は気難しい性格で周りを困惑させる。スタッフたちはどうにかしてトラヴァースに映画化の契約書に署名してもらおうと心を砕くが……。(シネマトゥデイより)



本作はウォルト・ディズニー社が、自社製作の映画の裏側を、
初めて描いた作品だそうですが、ディズニー夢を売る会社だなんて言われるのに、
その夢の世界の裏側なんて公開しちゃうのは、あまりよくないような気がします。
先達てもトップシークレットだったはずのミッキーマウスの日本語声優が
大学教授の副業だったなんて噂が流れたし、どんどん裏側が露呈してますね。
また、『魔法にかけられて』で自社アニメを揶揄する自虐パロをしたりだとか、
昨今のディズニーは妙に砕けてきた印象があります。
ピクサーやマーベル、『スターウォーズ』シリーズまで買収して、
なんだか必死な気がしますが、夢を売るなんて戯言は言ってられなくなったのかも。
それで面白くなっている作品もあるので、別に悪いことではないですが。

本作は1964年のディズニー映画『メリー・ポピンズ』の製作秘話を描いてますが、
ブランドイメージを重視するなら、あまり好ましくない部分も描かれています。
特に本作で描かれたディズニー社の創始者ウォルト・ディズニーの人物像は、
ウォルトが生きているうちなら絶対に許可しなかったでしょうね。
彼がレイシストだったとか、そこまでネガティブな人物像ではないけど、
隠れて煙草を吸っていたってだけでも、このご時世好ましい印象は受けないし…。
まぁ喫煙者だったくらいなら、それほど悪い印象でもないかもしれないけど、
本作のウォルトには「絶対に自分の思い通りにする」という、傲慢さを感じます。
それもよく言えば信念を曲げないってことでもあるんだけどね。
ウォルト・ディズニー本人の案内でディズニーランドに招待されるなら、
相手は喜んで当然と考えてるところなんて、自意識過剰ですよね。
しかし本作にはそんなウォルと以上に傲慢で自意識過剰な人物が登場します。
それが『メリー・ポピンズ』の原作者パメラ・トラバースですが、
ボクも本作を観て、「なんだこのクソババアは?」と思いましたよ。
とにかく他人の好意を無下にする天才で、序盤の彼女の態度には反吐が出ます。
下手すれば名作と名高い映画『メリー・ポピンズ』自体を貶めかねない、
リスキーで自虐的な描き方だと思いました。
まぁ終盤の展開である程度は取り戻しますけどね。

というか、そもそも『メリー・ポピンズ』って、そんなに名作だったかな?
ボクは1963年当時は生まれてないので、近年ビデオで鑑賞したけど、
なんだかシュールでヘンテコな映画だったという印象しかありません。
本作を観る前は、内容も記憶からほとんど抜けていました。
ただ、数々の劇中曲はかなり印象的だったみたいで、
物語はちゃんと覚えていなかったボクも、本作での劇中曲の作曲シーンなどで、
当時の名曲を聴いてみると、全曲ちゃんと聴き覚えがあったし、
その曲を聴くだけで、その使用シーンが鮮明に思い出され、
最後には物語もほとんど全て思い出せていましたからね。
視覚情報まで呼び起こす、素晴らしい曲の数々で、
当時アカデミー賞の作曲賞や歌曲賞を受賞したのも頷ける、
ミュージカル映画としては素晴らしい映画だったと思われます。
でも『メリー・ポピンズ』の物語自体は、鮮明に思い出せたところで、
やっぱりヘンテコで出来がよかったとは思いませんが。

つまり『メリー・ポピンズ』という物語は、映像化にあたり、
ミュージカル映画に昇華されたからこそ名作たり得たように思えるので、
原作の時点で名作小説だったとは考えられないのです。
本作はウォルトと原作者パメラの、『メリー・ポピンズ』の映画化権をめぐる
熾烈な攻防が描かれているのですが、ボクにはどうにも、
原作小説の何にウォルトがそこまで惚れ込んでいるのかがわかりません。
それはたぶんボクがミュージカル映画版しか知らず、原作未読だからでしょうが、
本作を観る上では、おそらく原作も知っておいた方がよさそうです。
映画化にあたり原作からかなり根本的な脚色が行われているようですが、
その脚色箇所がウォルトとパメラの攻防の焦点になっているので。
ちなみにミュージカル映画版すら観てないのに本作を観るのは論外です。
例えるなら、『サイコ』を観ないで『ヒッチコック』を観るようなもので、
おそらくほとんど楽しめないと思われます。
もし楽しめたとしても、ミュージカル映画版鑑賞者の半分以下の面白さで、
原作小説既読者と比べれば、更に半分になるんじゃないかと思います。
本作はちゃんと観ればかなり興味深くて面白い作品なので、
『メリー・ポピンズ』を知らずに観るのは勿体ないです。
以下、ネタバレ注意です。

ウォルト・ディズニーは児童文学『メリー・ポピンズ』の映画化を熱望し、
約20年ちかくも原作者パメラ・トラヴァースに映画化のオファーします。
なんでもウォルトの娘がその本の大ファンだったみたいですね。
その娘というのは昨年亡くなった長女ダイアン・ディズニー・ミラーかな?
頑なに映画化を拒否していたパメラですが、どうやら一発屋だったようで、
新作も執筆せず、印税生活も限界で、背に腹は代えられず、
映画化のオファーを受けるかどうか決めるために、
ロンドンからロスのウォルト・ディズニー・プロダクションにやって来ます。
専属ドライバー付きの車や、ビバリーヒルズホテルに部屋と用意してもらうなど、
かなり手厚い待遇でもてなされる彼女ですが、契約金は欲しいものの、
本心では映画化には反対なので、終始不機嫌です。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって感じで、そこら中に悪態を吐きまくりますが、
自意識過剰でマジでムカつくクソババですね。
ホテルの部屋中にディズニーキャラのヌイグルミを飾って出迎えるウォルトも、
誰が考えても反感買うだけなのはわかるのに、全く空気の読めてませんね。
そこでプーさんのヌイグルミを見たパメラが、
「哀れなA・A・ミルン…」とつぶやいたのは笑っちゃいましたが、
自分の作品の登場人物がディズニーのキャラクターになってしまうと考えると、
なんだか奪われたみたいで、たしかにちょっと引っ掛かるものがありますよね。

スタジオを訪れたパメラを制作チームがお出迎えしますが、
彼女は作詞作曲担当のシャーマン兄弟に怪訝な顔…。
彼女が『メリー・ポピンズ』がカートゥーン映画になることを断固拒否し、
実写映画になるということは決定されていたのですが、
そこで急に「ミュージカル映画になるのも論外」と言い出すのです。
ウォルトはそんな彼女に「あなたが認めないことはしない」と約束し、
宥めますが、ミュージカル映画にするのは撤回しないので、
彼も言ってることとやってることがチグハグで、なかなか図太いです。
まぁ前述のように映画『メリー・ポピンズ』の高い評価は、
あくまでミュージカル映画としての評価だったので、
もし彼女の要求を呑んでいたら、きっと駄作になったでしょうね。
彼女は自分のことをパメラとファーストネームで呼ばれるのを嫌い、
ある事情から「トラヴァース夫人」と呼んでほしいと周りに伝えますが、
ウォルトはパメラどころか、初対面から「パム」と勝手な愛称で呼びます。
馴れ馴れしいにもほどがあるが、大事な交渉相手なのに、
なぜそんな無意味に機嫌を損ねかねないことをするんでしょうね。
ただ敵もさる者で、ウォルトは自分をファーストネームで呼んでくれと伝えるが、
パメラは一貫して「ディズニーさん」と呼び続けます。
ウォルトもある理由から名字で呼ばれるのが嫌なんだけど、
なんというかこの二人は似た者同士ですね。

制作会議に参加したパメラは、脚本や劇中曲に片っ端からダメ出し。
まず冒頭のバートの歌の歌詞で「リスポンスタブルなんて言葉はない」と、
造語を使用することに対しダメ出しします。
でも『メリー・ポピンズ』の歌といえば、ある造語が有名ですよね。
そう「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」です。
流行語にもなった造語ですが、もし彼女の造語禁止に従っていたら、
この大人気曲や流行語も存在しなかったことになります。
今だから言えることだけど、彼女の要求は逆効果なものが多いですね。
他にも「バート役をディック・ヴァン・ダイクにするのはミスキャストだ」とか、
「母親の名前はシンシアじゃなくウィニフレッドにしろ」とか、
「父親バンクス氏に口髭つけるな」とかダメ出ししまくります。
でも実際に要求が通ったのは母親の名前くらいのもので、
ウォルトの「あなたが認めないことはしない」という約束は全然守られてませんね。
これでは邦題も『ウォルト・ディズニーの約束反故』にした方がいいです。
作曲担当のボブは、パメラのあまりに細かい要求にイライラして、
「それって大した問題ですか?」と苦言を呈します。
怒った彼女から退室を命じられるのですが、その時ボブは足を引きずっていて…。
なんでも誰かに足を撃たれて怪我をしたみたいなんですが、
その経緯が語られないので、めちゃめちゃ気になりました。
普通に生活してて足を撃たれることがあるなんて、ロスって怖いですね。

パメラの要求の中でも最も理不尽だったのが、
「劇中に赤い色は一切使うな」というもの。
モノクロ映画じゃないんだから、そんなの不可能ですよね。
(もちろんその要求は最終的に無視されましたが。)
更に「脚本に重みがない」とも言いますが、それは納得だけど、
原作小説はそんなに重厚なものだったのか気になりました。
そこまで脚色したら、もうほぼ別物だし、彼女の原作に拘る必要ないような…。
ディズニーは『ジャングル大帝』を『ライオンキング』に、
『不思議の海のナディア』を『アトランティス』にするなど、
無許可で脚色して(つまりパクって)オリジナル映画にするのが得意なのにね。
もしかしてうるさい原作者パメラの件で懲りたから、
原作者に脚本の承認を取らずにパクるようになったのかな?

それにしても、どうしても映画化したいというディズニー側の足元を見るような
パメラの言動にはムカムカしますね。
本当は自分も契約してもらわないと困る状況なのに、傲慢なクソババアです。
結局は映画化するのはいいけど、自分の望み通りに映画化してほしいってことで、
それだけ自分の書いた原作小説が大切なものだったわけですが、
それはこの小説が、彼女の幼いころの体験から書かれているからです。
『メリー・ポピンズ』の一家の父親で、銀行勤めのバンクス氏は、
彼女の父親を投影したもので、父親も銀行勤めだったようです。
ところが彼にとっては銀行での仕事が非常に辛いものだったみたいで、
酒に溺れて、妻(パメラの母)に多大な心配を掛けています。
銀行勤めの何がそんなに辛いのかは描かれていないので気になりますが、
幼いパメラに「金なんて信じるな」と言っているところから、
金そのものに嫌悪感があるのかもしれません。
銀行主催の農業祭のスピーチで、酒が原因で大失態をやらかし、銀行も解雇。
更にもともと病気ですがステージから落ちて寝たきりになってしまいます。
でもパメラはそんな父親がとても大好きで、いつも気に掛けており、
父親の言い付けでこっそり酒を届けたりしています。
そんな生活で今度は母親が精神を病んでしまい、入水自殺を図りますが、
そんな一家を助けに来たのが母親の姉(パメラの伯母)です。
その伯母こそがメリー・ポピンズのモデルのようです。

パメラにとっては、メリー・ポピンズは父親を助けに来た人物ですが、
ウォルトの解釈では子供たちを助けに来た魔法使いのナニーでしかなく、
そこに脚本の大きな齟齬が起きているわけです。
ウォルトの考えるバンクス氏は、子供たちが怖がる厳格な父親で、
そこにはウォルト自身の父イライアスが投影されています。
子供たちの凧を修理してくれるような優しい父親ではないが、
それがパメラには「父親を酷く描いてる」と映り、
自分の大好きな父親を非難されているように感じられるのです。
それに気付いたウォルトは、エンディングを書き換えます。
それがメリー・ポピンズの影響で、バンクス氏が家族への愛を取り戻すという、
映画『メリー・ポピンズ』のラストになるわけです。
でも、それなら元の脚本はどんなエンディングだったのか気になりますね。
まさかバンクス氏が最後まで家庭を顧みない父親のままだったってこと?
ディズニー映画で、ちょっとそれは考えにくい展開です。
そもそも原作小説だと、どんなエンディングだったのかな?
たぶん元の脚本はそれをある程度踏襲しているはずなので、
ちょっと気になるし、機会があったら読んでみたいと思います。

その新しいラストに納得し、そこで使用される曲も気に入ったパメラは、
一転して映画化に協力的になるのですが、
ペンギンが踊るシーンをカートゥーンで描くと知りブチ切れ。
ウォルトをペテン師と罵り、ロンドンに帰国してしまうのです。
これは完全にウォルトの約束違反で、パメラが怒るのも当然です。
実際は役者は実写で、カートゥーンと融合させるので、
完全なカートゥーン映画とは言えませんが、それは屁理屈でしかなく、
いくらなんでも誠意に欠ける対応だと思います。
パメラがなぜそこまでカートゥーンを嫌がるのかは不明ですが、
ウォルトがカートゥーンに拘る理由は何となくわかります。
そもそもこのペンギンのシーンは物語上全く必要がないので、
パメラが反対するならカットしても全く問題ないシーンです。
それでもカットしないのは、ウォルトがアニメーター出身なので、
自身の作品にカートゥーンを取り入れることに特別な思い入れがある、
…というような綺麗ごとではなく、おそらくは商業目的です。
ペンギンでキャラクタービジネスをするつもりだったのでしょう。
実写だとヌイグルミとかオモチャも作りにくいですからね。
いくら自己弁護しようとも、やはり彼は「金が全てのハリウッド王」で、
『メリー・ポピンズ』も「王国の積み石」のひとつなのでしょう。

ウォルトはわざわざロンドンまでパメラを訪ねて行きます。
彼女の経歴を調べたウォルトの見事な演説により、彼女は説得され、
再び映画化の許可を取り付けます。
そして1964年、ついに映画『メリー・ポピンズ』が完成しますが、
驚くことにウォルトはプレミアにパメラを招待しないのです。
パメラが納得するであろう出来になっている自信がないのか、
マスコミが集まる中、もし彼女が映画を批判したら厄介だと考え、
作品を守るために招待しなかったそうです。
やっぱりウォルトにとっては、原作者との約束よりも、
作品がヒットするかどうかが重要な「金が全てのハリウッド王」です。
そのころパメラも映画公開に便乗するつもりか、
久々に『メリー・ポピンズ』シリーズの新作小説を書き上げており、
彼女もなんだかんだで儲けることに余念がありませんね。
ウォルトとパメラは本当に似た者同士です。

プレミアに招待されてないことに気付いたパメラは、再びロスに乗り込みます。
ウォルトもやってきちゃったものは仕方ないので、彼女を招待することに。
プレミア上映を観たパメラは、予想通り渋い顔…。
でもトンネル清掃人のシーンで、バンクス氏の話になると、
父親を思い出し、感極まって涙を流します。
やっぱりペンギンのシーンとかは気に入らなかったけど、
後半のバンクス氏が救われる展開にはそこそこ納得したのだと思われ、
めでたしめでたしって感じでしょうか。
でも『メリー・ポピンズ』を観て泣けるのは世界でもパメラだけでしょうね。
普通に観たら、ミュージカルコメディなので泣く要素なんて全くないし、
パメラの反応は、ウォルトが意図したものとは言えず、
偶然うまくいっただけのだけのことですよね。
まぁボクもパメラが泣いたところは、ちょっと感動しちゃいましたが、
彼女に感情移入して感動できたというよりも、
幼少期の彼女である「ギンティ」に感情移入して感動できた感じです。
あの健気で可愛いギンティが将来こんなクソババアになるなんて不思議です。

でもそれよりももっと感動したのは、パメラと専属ドライバーの交流かな。
あのクソババアが、車椅子の娘を持つ彼のために優しさを見せるところや、
彼がプレミアに訪れたパメラの送迎に現れたところは泣けました。
結局『メリー・ポピンズ』の映画化も、ウォルトとパメラの信頼関係よりも、
ドライバーとパメラの絆によるところが大きかったような気がします。

やはり映画製作の舞台裏を描いた映画にはハズレなしです。
『メリー・ポピンズ』を知ってる人には是非オススメしたい映画でした。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://blrpn.blog.fc2.com/tb.php/1256-4ff3b6f4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad