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かぐや姫の物語

スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、TBSの新番組『100秒博士アカデミー』で、
ジブリの次回作について「児童文学に戻る」と明かしたそうです。
『夢と狂気の王国』では、日本テレビとの蜜月関係を、あれほど熱く語っていたのに、
そんな大事なことをTBSの番組で話しちゃうとは、ホントにわからない人です。
ダウンタウン司会のそのバラエティ番組は、低視聴率に喘いでいるので、
番組サイドから、宣伝させる代わりに特ダネをお願いされたとかもしれません。

それに児童文学と言っても、範囲が広すぎるので大したネタでもないのかも。
ネット上ではかなりの信憑性ですでに特定されていますけど…。
とりあえずオリジナルや漫画原作ではないのはわかって、これはいい判断だと思います。
ボクはアンチ『風立ちぬ』ですが、やはりジブリ作品は児童が楽しめないとダメです。
宮崎駿のワンマン体制により、ジブリ内には後塵が育ってないので、
面白いオリジナル脚本を書ける人材もいないだろうから、
暫らくは児童文学や童話(昔話)を拝借してアニメ映画化するのがいいでしょう。
宮崎駿なき後のジブリが生き残るには、ディズニーの手法を真似するのが手っ取り早いし、
世界各国の人気児童小説や有名な童話をどんどんアニメ化しちゃえばいいと思います。
問題は次回作の監督ですが、『夢と狂気の王国』の宮崎吾朗の様子を見た限りでは、
彼の企画が形になるのは少なくとも2年は掛りそうなので、米林宏昌になるかな。
『借りぐらしのアリエッティ』もイギリスの児童文学が原作だったし、無難でしょう。

ということで、今日は日本の昔話をアニメ化したジブリの最新作の感想です。

かぐや姫の物語
かぐや姫の物語

2013年11月23日公開。
高畑勲監督が約14年ぶりに手がけた劇場アニメ。

今は昔、竹取の翁が見つけた光り輝く竹の中からかわいらしい女の子が現れ、翁は媼と共に大切に育てることに。女の子は瞬く間に美しい娘に成長しかぐや姫と名付けられ、うわさを聞き付けた男たちが求婚してくるようになる。彼らに無理難題を突き付け次々と振ったかぐや姫は、やがて月を見ては物思いにふけるようになり……。(シネマトゥデイより)



本作がまだ宮崎駿監督の『風立ちぬ』と同日上映の予定だった頃に流されていた、
『風立ちぬ』との2本立ての予告編(特報)を観た時から、
本作の圧倒的な映像センスに心を奪われ、傑作の予感がありました。
しかし、本作の公開が延期になったため『風立ちぬ』が先に公開されることになり、
その出来があまりにも残念だったため、ジブリに対して猜疑心が芽生え、
本作への期待もかなり薄まってしまったような気がします。
しかし『風立ちぬ』で受けた傷が癒えるに従って、期待も徐々に回復し、
公開日はかなり楽しみな気持ちで迎えることができました。
『風立ちぬ』はあんな出来なのに、今年ダントツで最高成績の映画になっているため、
本作も初週末は大混雑が予想されたため、観に行くのは平日を待つことにしました。

ところが、『風立ちぬ』は初週末2日間で動員74万7451人だったのに対し、
本作は初週末2日間の動員22万2822人と、ちょっと低調なスタートです。
公開規模はほぼ同じなのに、こんなに差が付くとは思いませんでしたが、
まだ『風立ちぬ』で受けた傷が癒えてない人が多かったということでしょうか。
というのは半ば冗談ですが、やっぱり公開順の影響は大きいと思います。
一般的には「ジブリ=宮崎駿作品」という風潮もあるので、
『風立ちぬ』に好意的な人であっても、宮崎駿が引退した今、
早くもジブリを見限った人も多いのではなかろうかと思います。
地味な印象の高畑勲監督の本作では、同日公開でも『風立ちぬ』に及ばないでしょうが、
もし順序が逆であったら、もうちょっと好スタートが切れていたような気がします。

でも本作の勝負はむしろここからでしょう。
本作は期待に違わぬ出来だったし、今年公開のアニメ映画の中でも最高傑作なので、
『風立ちぬ』のようなノイズマーケティングを含む必死の宣伝を行わなくても、
本作の素晴らしさは口コミで波及していくはずです。
きっと海外でも高く評価されるでしょうし、きっと1~2年後の評価では、
2013年のジブリの代表作と言えば本作だったと言われているはずです。

まず素晴らしいのは、躍動感のあるアニメーションを線画で描いていることです。
毛筆による線の、時には繊細でしなやかで、時には荒々しく力強いタッチが、
日本の美を表現しており、ジャパニメーションとは全く違う、
日本的でありながら今までになかった映像を見せてくれます。
あえて描き込みすぎない風景やキャラは、観客のイマジネーションを刺激し、
写実的に描かれた最近のアニメでは得られない、温かみや広がりを感じさせます。
こういう独創的な映像というのは、思考錯誤の賜物でもあるでしょうが、
結局のところ作り手のセンスで決まると思うんですよね。
例えば宮崎駿作品の映像なんていうのは、新海誠が『星を追う子ども』でやったように、
真似しようと思えば出来てしまうものですが、本作ような独特のセンスを擁する映像は、
たぶんそう簡単に再現することはできないはずで、世界でも唯一無二でしょう。
それが映像における作家性で、欧州のアニメ映画には作家性の感じられる作品が多いのに、
アニメ大国である昨今の日本のアニメは、写実的な風景に漫画的なキャラで、
宮崎駿作品も含め、どれも押し並べたような映像です。
そんな中、こんなセンス丸出しのアニメがまだ日本で作れることに感激したし、
本作においては日本でしか作れないような映像だったため、
日本人としてとても誇らしく思える作品でした。

更に『竹取物語』という日本最古の物語を題材にしているのも嬉しいです。
ただ題材にしているだけでなく、ちゃんと面白い話になっているのに、
あまり脚色せずにほぼ原作のままなのが素晴らしいと思います。
日本には遥か昔からこれほど素晴らしい物語があったことの証明であり、
やっぱり日本人として誇らしい気持ちにさせてくれます。
自虐史観で日本人の誇りを傷付けた『風立ちぬ』とは真逆ですね。
ただ、原作の『竹取物語』が本当に面白いかと言えば、微妙ですよね。
資料としては興味深い作品だと思いますが、物語としては面白いとはいえません。
一体何を言いたいのかよくわからない内容だし、語られない謎の部分が多すぎて…。
その謎を独自の解釈で埋めて、感動的な物語に昇華させたのが本作ですが、
前述のように、ほとんど脚色することなく、それをやってのけたのに感心します。
本当は原作者(作者未詳)はこれを書きたかったのではないかと思うほど、
最小限で自然な脚色です。
原作漫画を脚色しまくった挙句、全くの別物にしてしまった『風立ちぬ』とは…、
…って、『風立ちぬ』のディスるのも、いい加減しつこいので、もうやめます。

『竹取物語』でもかぐや姫は、何かの罰で月から地球に降ろされたことが語られますが、
彼女の犯したとされる罪が何なのかまでは語られていません。
そんな重大な設定を書き損ねるなんて、原作者は何をしてるんだって感じですが、
高畑勲監督はその謎に独自の解釈を思い付き、これは作品にしない手はないと思うも、
なかなかその機会は訪れず、もう何十年も温めていたそうです。
2005年についに映画化の企画が持ち上がり、それから苦節8年、やっと完成しました。
前作『ホーホケキョとなりの山田くん』から14年ぶりの新作となりますが、
いくらなんでも期間が開きすぎで、筆が遅いのも大概にしろと思ったものの、
これほどの完成度の作品であれば、それも致し方ないかと思えます。
普通の監督が14年間映画を何本も作っても、本作ほどの傑作はできるかどうかだし、
宮崎駿だって、この14年間で傑作と呼べるのは『千と千尋の神隠し』くらいですもんね。
年齢的に次回作には期待できず、本作が事実上の引退作になる見込みですが、
宮崎駿とは違い、最後を飾るに相応しい最高傑作だったと思います。
(ジブリとしても、おそらく最後の傑作になるんじゃないかな?)

ただ、その長すぎる制作期間の間で、竹取の翁こと讃岐造の声のキャストを務めた
地井武男が亡くなってしまったのは残念なことだったと思います。
先に声だけを収録するプレスコを使ったので、彼の声がスクリーンで蘇るのですが、
そのことがさも美談のように紹介されているのには違和感を覚えます。
彼に対して思い入れがあるわけではないので、生死や遺作云々は問題ではないけど、
録り直しが利かない状況だったわけだから、とてもリスキーなことです。
今回はたまたま上手くいったからよかったけど、危ないところでした。
翁役が地井武男だと発表されたのは公開2カ月前ですが、もしかするとジブリも、
ちゃんと作品が形になるまではキャストが差し替えになる可能性を考えていたのかも。
かぐや姫役がプレスコ当時朝ドラの主演だった朝倉あきというのも、
時の流れを感じさせるキャスティングです。

本作の冒頭は「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。」と、
『竹取物語』の原文を朗読するナレーションで始まります。
かなり雰囲気があってよかったですが、原文ママなのは冒頭だけで、
それ以降のナレーションは普通に現代語だったのは残念。
だけど子供も観ると考えれば、わかりやすい言葉の方がいいでしょうね。
翁は竹林で光る竹を見つけて近づきますが、ちょっと意外だったのは、
本作のかぐや姫は光る竹の中からではなく、筍の中から登場することです。
筍から生まれたことと、筍のように成長が早いことから、
かぐや姫は山の子供たちから「たけのこ」と呼ばれるようになります。
原作ほどではありませんが、本当にみるみる成長していくのですが、
赤ちゃんの時の所作がそれはもう可愛くて、すぐに成長しちゃうのが勿体ないくらい。
ウリ坊と戯れているところなんて、癒されまくりますね。
可愛い盛りはあっという間に過ぎますが、ちゃんと可愛い少女に成長します。
秋には遊び仲間で一番年上の捨丸と同じくらいまで成長します。
この赤ちゃんから少女までの成長過程は本作のオリジナルですが、
このエピソードを入れたことで、原作ではイマイチ掴みどころのなかったかぐや姫が、
グッと人間らしくなって、感情移入できるようになりました。

翁は天からの授かりものである姫を、高貴な姫君に育てようと考え、
姫が生まれた竹林で発見した金塊で都に屋敷を建てます。
姫は捨丸たちや大好きな山を離れて、都の屋敷に引越すことになるのです。
都の屋敷には、豪華な家具や綺麗な着物も沢山用意されており、
姫は束の間だけ寂しさを忘れて大はしゃぎします。
こういうところは、普通の女の子っぽいですよね。
屋敷には侍女も沢山いるのですが、その中のひとり、童女と呼ばれる丸っこい侍女が、
なんとも味のあるキャラで、本作のマスコット的キャラなのでしょうね。
本作の脇役はみな外見も内面も個性的で魅力的なキャラが多いのが素晴らしいです。

翁は宮中から相模を教育係に呼び寄せ、礼儀作法や琴を教育してもらい、
斎部秋田に「なよ竹のかぐや姫」と名付けられた姫は、髪上げの儀を迎えます。
山が恋しい姫は貴族のような息苦しい生活にウンザリしますが、
名付けの祝いの席での無礼な貴族の態度に我慢できず、屋敷を飛び出します。
このシーンは、毛筆の荒々しいタッチで、何とも言えない迫力と躍動感が凄かったです。
ボロボロになりながらも山へ帰った姫は、捨丸たちを探しますが、
彼らはこの山を去った後だったようで、彼女は疲れ果てて雪原に倒れ込みますが、
目が覚めると屋敷におり、どうやら山に帰ったのは夢だったようで…。
でも本当に捨丸たちは山を去っているので、ちょっと虚実掴めない演出ですね。
終盤にも夢オチシーンがもう一度あるのですが、展開上邪魔になるけど、
ボツにするには忍びないシーンを何とか挿入するための手段なのかもしれません。

美しいかぐや姫の噂は都中に広まり、ある時、皇子や右大臣など、
いずれ劣らぬ大貴族5人が屋敷を訪れ、彼女に求婚します。
翁は大喜びしますが、姫は誰にも嫁ぐ気はなく、なんとか諦めてもらうために、
彼らに無理難題を要求し、それを達成できた人に嫁ぐと宣言します。
各々にこの世にあるかもわからない珍しい宝物を要求するのですが、
そんな貴重なものを貢げだなんて、原作だとちょっと傲慢な感じがしたけど、
本作では彼らの言葉尻を取って切り返しただけなので、そんな印象は受けませんでした。
ここもちょっとした脚色なんだけど、うまい演出だと感心しました。

無理難題に諦めたかに見えた5人の貴族でしたが、3年経ったある日、
車持皇子が要求された宝物「蓬莱の玉の枝」を持って屋敷を訪れます。
しかしそれは職人に作らせた偽物だとバレて、彼は逃げ帰ります。
その後、今度は阿部右大臣が大枚叩いて買った「火鼠の皮衣」持って訪れますが、
それも偽物で、彼は騙されて買ってしまったようです。
更に、今度は「仏の御石の鉢」を要求された石作皇子が訪れますが、
宝物を見つけることは出来なかったけど、姫に真心を贈りたいと求婚します。
その言葉に少し心が動いた姫ですが、それは女たらしの彼の常套手段だとわかり…。
「龍の首の珠」を探しに旅だった大伴大納言は大海原で難破、
「燕の子安貝」を探していた石上中納言に至っては、その途中で事故死します。
ただ求婚を断るための方便で無理難題を要求しただけだったのに、
彼らが不幸になり、死人まで出してしまったことに姫は動揺します。
うーん、たしかに嘘つき車持皇子と女たらし石作皇子はいい気味だけど、
他の3人はちょっと気の毒だったかもしれませんね。

そんな大貴族5人の求婚を断った姫に興味を持ったのが御門です。
「彼女はきっと私の女房になりたがってるに違いない」と勘違いし、
翁に官位を授けると言って姫を宮中に呼び出そうとしますが、にべもなく断られ、
「よもや私の申し出を断る女がいたとは…、面白い!」と、
ますます姫に惹かれ、屋敷まで会いに来てしまうのです。
さすがに御門ともなれば、他の貴族とは扱いが違います。
他の貴族は対面すらできませんでしたが、御門は翁から姫の部屋に通され、
「私に抱かれて嫌がる女はいない」と、姫に後ろからいきなり抱きつくのです。
その時の姫の嫌そうな表情には、劇場も大爆笑でした。
まぁあんな自意識過剰なシャクレに抱きつかれたら、ゾッとしますよね。

そのショックな出来事が、とんでもない事態を巻き起こします。
それ以来、姫は夜な夜な月を仰ぎ見るようになったのですが、
様子が変なことを不思議に思った翁と媼が彼女を問い詰めると、
実は自分は月の都の人間で、ある罪の罰で地上に降ろされたのだと告白。
今月15日に月から迎えが来て帰らなくてはいけないのが悲しい、というのです。
原作でもそうだけど、急に月に帰ることになるなんて、あまりに急激な展開ですよね。
原作ではなぜそうなったのか描かれませんでしたが、本作ではちゃんと描かれます。
かぐや姫自身が「もうここにいたくない」と思って迎えを呼んだそうなのですが、
なんでも、御門に抱きつかれた時に無意識に月へSOSを発信していたみたいで。
まさかあれがそれほどまでショックだったとは、御門の嫌われ方が半端ないです。
でも御門のことは大嫌いでも、この場所や翁たちのことは大好きな姫は、
思わず助けを呼んでしまったことを後悔しますが、時すでに遅かったようで…。

それにしても、そんな嫌になったらいつでも帰れるような罰って、
姫はどんな罪を犯したのか気になりますが、それも本作では描かれています。
…が、ちょっと抽象的でそれが罪と言えるのかどうかは疑問です。
彼女の罪とは、「禁断の地である地球に憧れてしまったこと」なのだそうで、
その罰でなぜか憧れの地球に流刑されるのですが、ちょっと変な話ですね。
でも、それを罰と考えるから変なだけで、月の偉い人が、姫の考えを改めさせるために、
彼女が憧れている地球の実情を体験させようとしたのかもしれません。
多くの月の人は地球を汚らわしい場所だと見下しているようなので、
きっと姫もすぐ泣きが入って助けを呼ぶだろうと考えていたのでしょう。
ところが姫はやっぱり地球が大好きで帰りたくなかったみたいです。
そんな姫が地球の何に憧れていたかと言えば、月には存在しないもの、
彼女のわらべ唄にも出てくる鳥や虫や獣、そして草花などの自然でしょう。
それが、おそらく本作の『竹取物語』における罪と罰の解釈だと思います。

かぐや姫が地球に来た理由と月に帰る理由をちょっとだけ補完するだけで、
『竹取物語』の物語に深みが出て、何倍にも面白くなるんだから不思議です。
原作のかぐや姫は何を考えてるかわからず、人間味が薄かったので、
彼女の背景を掘り下げて、人間の女の子として描いたのがよかったのでしょうね。
ボクの文章力では本作の素晴らしさを伝えきれないので、
「とにかく観てみてほしい」の一言に尽きます。
物語以上に映像にインパクトがある作品なので、映像を見ないことには話にならないし、
映像が売りの作品なので、できるだけ劇場の大スクリーンで観た方がいいと思います。

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