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許されざる者

『101回目のプロポーズ』の中国リメイク『101回目のプロポーズ SAY YES』が、
来月逆輸入公開されますが、あんなもの誰が観るのかと思ってしまいます。
それはそうと、来年公開になる中田秀夫監督の映画『MONSTER』ですが、
なんでも韓国映画『超能力者』の日本リメイクだそうで…。
韓国映画(というか韓国)が大嫌いなボクは「絶対に観てたまるか」と思いましたが、
藤原竜也と山田孝之のW主演な上に、ヒロインが石原さとみという、
主要キャストに好きな俳優ばかり起用されていることが残念です。
そういえば日本映画『そして父になる』をドリームワークスがリメイクしたいそうで、
実現すればハリウッド・リメイクになりますが、これは楽しみです。
そもそも海外リメイクは文化的、人種的に大きな差がある地域間でするものなので、
同じアジア圏内でやっても仕方がないと思うんですよね。
(まぁ文化的には似ていても、民度には大きな差がありますがね。)
通常のリメイクのように、古い映画を現代風にアレンジするならまだ意味がありますが、
昨年日本公開された新しい韓国映画を日本リメイクする必要は全くありません。
レンタルビデオ店に行けば普通にオリジナルが置いてあるんだから、
見たい人はオリジナルでも見てればいいです。

ということで、今日は文化的に大きな差がある海外リメイク映画の感想です。

許されざる者
許されざる者

2013年9月13日日本公開。
クリント・イーストウッド監督・主演の西部劇を日本映画にリメイク。

1880年、開拓が進む江戸幕府崩壊後の北海道。人里離れた土地で子どもたちとひっそりと暮らす釜田十兵衛(渡辺謙)だが、その正体は徳川幕府の命を受けて志士たちを惨殺して回った刺客であった。幕末の京都で人斬(き)りとして名をとどろかせるも、幕府崩壊を機に各地を転々と流れ歩くようになり、五稜郭を舞台にした箱館戦争終結を境に新政府の追手をかわして失踪。それから10年あまり、十兵衛に刀を捨てさせる決意をさせた妻には先立たれ、経済的に困窮する日々を送っていた。そこから抜け出そうと、再び刀を手にする彼だが……。(シネマトゥデイより)



過去にハリウッド映画を日本映画にリメイクした作品といえば、
1990年の名作ロマンス映画『ゴースト/ニューヨークの幻』のリメイクである、
2010年の『ゴースト もういちど抱きしめたい』が記憶に新しいですが、
これがマジでカスみたいな作品で、オリジナルに申し訳がなかったです。
日本リメイクするにあたり、舞台を日本にするのは当然ですが、
ゴースト役をまさかの韓国人にする意味不明な改変を行い、
それで日本映画にリメイクしたと言えるのかと、情けなく思いました。
パラマウント初の日本映画でしたが、この失敗で同社は日本映画から撤退したし…。
それがトラウマで、ハリウド映画の日本リメイクには懸念を感じてしまうんですよね。
本作はオスカーも受賞した名作西部劇の日本リメイクということになりますが、
オリジナルが名作であればあるほど、また情けないことになりはしないかと心配で…。
しかしいざ観てみると、それは杞憂だとわかりました。
本作はちゃんとオリジナルに敬意を払って作られた、真っ当なリメイクです。
先達てのベネチア国際映画祭でも特別招待作品として公式上映されましたが、
この出来であれば海外に出して、オリジナルのファンに観られても恥ずかしくないです。
ただ撮ったのが在日韓国人監督なのは、日本リメイクとして少々引っ掛かりますが…。

ちょっとオリジナルに敬意を払いすぎて、オリジナルを踏襲しすぎなため、
焼き直し感が強く、オリジナルと比較して優っているところは皆無です。
逆に目立った劣りもないですが、それならオリジナルを観た方がいい気がします。
ここまでオリジナルそのままの内容にするんだったら、
リメイクなんてする必要なかったんじゃないかとも思えますが、
むしろ舞台を日本に変えるという大きな設定変更があるのに、
内容をほとんど変えずに成立させてしまっていることが興味深いです。
西部劇を時代劇に脚色したわけですが、その逆パターンの時代劇を西部劇に変えた例では、
『用心棒』のリメイク『荒野の用心棒』、『七人の侍』のリメイク『荒野の七人』があり、
西部劇と時代劇に親和性があるのは間違いないですが、
本作ではその親和性が更に一歩進んでいると思いました。
本作の舞台は日本ですが、その中でも開拓使時代の蝦夷(北海道)です。
当時の北海道が、まさかこれほどまでに西部開拓時代と類似しているとは、
意外だったというか、いいところに目を付けたものだと感心しました。
特に先住民の存在ですよね。
白人とインディアンの関係が、これほど和人(大和民族)とアイヌの関係に通じるとは…。
まぁオリジナルはそれほどインディアンは関係ない物語なのですが、
本作はアイヌを絡めることで、より西部劇らしさを演出していると思います。

舞台は明治13年、開拓使時代の蝦夷。
ある村で、元仙台藩士の開拓民が女郎の顔を切り刻む事件が発生するが、
警察署長は彼らが女郎宿の主人に馬6頭を差し出せば罪を免除すると決めてしまい、
その甘い処分に納得できない女郎たちは、開拓民の首に1000円の賞金を掛けます。
その話を聞いた浪人の金吾は、明治維新で幕府軍として一緒に戦った十兵衛を訪ね、
この開拓民を殺す賞金稼ぎの話を持ちかけます。
当時は「人斬り十兵衛」と恐れられた十兵衛ですが、人斬りから足を洗ったものの、
妻に先立たれ男でひとつで子供を育てるも、生活が苦しくて、金吾の話に乗ることに。
オリジナルでも導入はほぼ同じ流れですが、ひとつ違うと思ったのは、
賞金稼ぎの話を持ちかけたのが主人公の旧友という展開です。
オリジナルでは若い賞金稼ぎに持ちかけられ、主人公が旧友を誘う流れだったはずなので、
本作では金吾が若い賞金稼ぎと旧友の設定を兼ねるのかと思いました。
しかしそういうわけでもないようで、後に若い男・五郎が2人に加わることになり、
若い賞金稼ぎの役どころは五郎が担うことになります。
なぜそんな変更そしたのか疑問ですが、賞金稼ぎなんて設定は西部劇独特だからかな?
突如現れた見ず知らずの若い賞金稼ぎの話に乗るよりも、
旧知の旧友の話に乗る方が、展開的には自然なので、悪くない変更だったと思います。
でも逆に、突如現れた見ず知らずの若い男を仲間にする展開に違和感を覚えますが…。

主人公が旧友の家を訪ねる展開がなくなった代わりに、
十兵衛の2年前に先立った妻の実家を訪ねる展開が入ります。
実家の義父はなんとアイヌで、当然十兵衛の妻もアイヌだったことになりますね。
オリジナルでは旧友の妻がインディアンでしたが、
妻が先住民という設定は主人公の設定に変更されたわけです。
どうやら当時のアイヌは和人から迫害を受けており、当時のインディアンと同じですね。
十兵衛たちも旅の途中で屯田兵がアイヌを迫害する現場に遭遇したりします。
これはオリジナルにはない独自の展開ですが、五郎を掘り下げる重要なシーンでした。
なんと五郎はアイヌの母と和人の父を持つハーフだったんですね。
しかし五郎の父はアイヌを蔑視しているようで、母に対してDVが酷かったらしく、
それを見て育った五郎は、女性を甚振る男を許せないと思うようになります。
つまり彼は女郎を切り刻んだ開拓民を殺すために十兵衛らに同行したいと考えたわけで、
オリジナルのように単に賞金目当ての血気盛んな若い賞金稼ぎではないのです。
更にアイヌと和人のハーフということは、十兵衛の子供たちと同じで、
彼は五郎のことを、息子のように思っていたかもしれません。
これはオリジナルよりも人物関係に深みを与える設定で、なかなかよかったです。

ただその反面、差別問題が絡むと雰囲気がシリアスになってしまいますよね。
オリジナルは西部劇らしい娯楽性に富んでいた作品だったので、
全体的にトーンが暗くなってしまったことは、どうなんだろうと思いました。
十兵衛演じる主演の渡辺謙も重苦しい雰囲気で演じているし、
敵である佐藤浩市演じる警察署長も、オリジナルの保安官のように、
下手なくせに大工作業が好きみたいな滑稽な設定を抜かれてしまってます。
忽那汐里演じる被害者の女郎の顔の傷も、オリジナルの比ではなく痛々しかったし、
何とも言えない鬱屈した雰囲気で、軽妙なオリジナルよりも見辛いかもしれません。
ただシリアスな雰囲気を嫌うかは好みの問題なので、悪い変更だとは思いません。
それに全体的に暗いトーンになったことで、活きてくるシーンもあります。
それは國村隼演じる北大路の登場シーンです。

北大路はオリジナルだと英国からきた名うての賞金稼ぎの役どころです。
元長州藩士という設定に変更されていますが、自傷凄腕だが口先だけの男なのは同じ。
そんな彼が警察署長にこっ酷くやられるというコメディ的なシーンです。
コメディ的なのはオリジナルも同じですが、本作は全体的にシリアスなため、
その中盤の一連のシーンは、いい息抜きになっています。
それにしても腰に提げているものがピストルか刀では、戦いもかなり違うはずだけど、
全く問題なくアダプテーションされており、剣客とガンマンの親和性には驚きます。
ただ本作は時代劇と言っても明治時代の物語なので、武器は銃火器も普及しており、
警察はちゃんとピストルやライフルも持っているのに、
クライマックスも刀にチャンバラがメインなのは少し違和感があるかも。
ただ銃撃戦ばかりだと日本リメイクした意味がなくなるので、これでよかったけど。
結局本作で銃殺されたのって、女郎宿の主人だけだったかもしれませんね。
刀を持ってないピストル使いの五郎でさえ、トドメにはナイフを使ったし。
でも刀とか刃物で殺すのって、銃で殺すのよりも精神的な負担が大きいでしょうね。
人の命の重みもオリジナルや本作のひとつのテーマなので、
人殺しの重圧が増したこともよかったかもしれません。

オリジナル同様、十兵衛たちが女郎宿へ行くと、警察署長がやってきて、
十兵衛に難癖を付けてボコボコにするのですが、オリジナルと違うのは、
その時点で警察署長が彼を「人斬り十兵衛」だと気付いていることです。
戦時中、幕府側だった十兵衛は、政府軍に蝦夷まで追い詰められ、
夕張の隠れキリシタンの村に匿われるのですが、そこに討伐隊が現れたので、
彼は村人に騙された思い、女子供問わず村人を皆殺しにしました。
オリジナルの主人公も、過去に列車強盗で女子供を皆殺して有名になったのですが、
保安官は旧友を拷問して聞き出すまで彼の素性を知りませんでした。
旧友が主人公の素性を保安官に話してしまう展開には違和感がありましたが、
本作でも金吾は拷問されることになるけど、十兵衛の素性はすでに知れているため、
そんな違和感のある展開にはならなかったのはよかったかも。
警察署長も五郎の素性(アイヌなのか)の方が気になっていたみたいだし。
そもそも夕張の隠れキリシタンの時に女子供を殺したのは討伐隊で、
その討伐隊を殺した十兵衛が全員殺したように誤解を受けただけでした。
つまり元無法者だったオリジナルの主人公と違い、十兵衛は端から悪人ではないです。
たしかに人は大勢殺したけど、幕府側の兵士として戦争してたんだから当たり前です。
なので本作の主人公は「許されざる者」って感じではないですよね。

ラストはオリジナルとかなり違うので、賛否の分かれるところかもしれません。
賞金首の開拓民を殺し、女郎から賞金を受け取った十兵衛ですが、
警察署長の拷問で金吾が殺されたと知り、ひとりで復讐に向かいます。
大立ち回りの末、警察署長らを全滅させた十兵衛ですが、
その現場を去ったのを最後に行方知れずになってしまうのです。
戦いの最中に銃撃を受けたり刀で刺されたりしたので、たぶん命はないでしょう。
オリジナルでは、主人公は我が家に帰り子供たちと幸せに暮らすので、
それに比べると本作はかなり悲しい終わり方だったと思います。
ボクはハッピーエンドが好きなので、ちょっとモヤモヤする幕引きだと思ったけど、
大勢の敵の中にひとりで攻め込んで無傷で生還するのは出来すぎてるし、
現実的には妥当な幕引きだったようにも思います。
それに十兵衛は最悪の結果になりましたが、被害者の女郎は五郎と結ばれたので、
彼らにとってはオリジナルよりも幸せな幕引きだったと思います。

ストーリーはオリジナルとほぼ同じであるため、
あえて違いを挙げへつらうような感想になりましたが、
本作はオリジナルの内容を損なうことなく日本風に脚色されており、
本当によく工夫されたリメイクで、海外リメイクのお手本のような作品です。
本作だけでも十分に見応えのある今年屈指の日本映画だと思いますが、
リメイクの創意工夫を味わうためにも、オリジナルも鑑賞することをオススメします。

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