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風立ちぬ

昨日の参院選ですが、ちゃんと(期日前)投票には行ったものの、
結果はわかりきっているので、開票特番も見る気が起きず、
映画のDVDでも見る予定でしたが、結局、映画館にレイトショーを観に行きました。
日曜のレイトはかなり空いてるものなのですが、昨日はそこそこ客が入っており、
やっぱり「家で開票特番見るくらいなら」と思ってる人が多かったんですかね?

その参院選を前に、スタジオジブリの月刊小冊子『熱風』では、
参院選を睨んで憲法改正特集が組まれ、宮崎駿監督らが談話を寄稿したそうです。
その中で彼は憲法(9条)改正の反対を訴え、安倍政権を批判していますが、
更に「慰安婦問題もきちんと謝罪してちゃんと賠償すべき」だとか、
「領土問題も折半か共同管理を提案したらいい」と持論を展開し物議を醸しています。
ボクもこの歴史認識は看過できないし、日本を代表する著名人である彼が、
こんな鳩山元首相と大差ない売国左翼だったことに愕然としました。

ということで、今日は宮崎駿の自虐史観映画の感想です。

風立ちぬ
風立ちぬ

2013年7月20日公開。
宮崎駿監督の5年ぶりにメガホンを取ったジブリ最新作。

大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。(シネマトゥデイより)



本作はスタジオジブリの最新作で、宮崎駿監督の5年ぶりとなる新作アニメ映画です。
たしかジブリは何年か前に「経営5カ年計画」というものを発表しましたよね。
それは最初の3年で若手監督の作品を2本製作し、
残り2年で宮崎駿監督らの超大作を1本作るという計画でした。
若手の2本が『借りぐらしのアリエッティ』と『コクリコ坂から』で、
それから2年目の今年は大御所監督の超大作が公開されるはずでした。
たしかに予定通り、宮崎駿監督の作品である本作が公開になったわけですが、
何故か今年は大御所高畑勲監督の『かぐや姫物語』の公開も控えており、
1年にジブリ映画が2本も公開されることに…。
「経営5カ年計画」は一周目から予定通りには行かなかったようですね。
まぁ予定より1本増えてるわけだから、むしろ予定以上の成果とも言えますが、
なぜわざわざ年2本も公開なんて異例なことをしたのかは謎です。
ボクはジブリが本作に自信がないから、保険としてもう一本用意したのだと思いました。
東宝や日本テレビの本作の宣伝もいつになく必死で、これも自信のなさの表れでしょう。
例の小冊子での発言も炎上マーケティングかもしれません。

前述の小冊子の左翼発言を知ったら、正直こんな売国奴の監督作なんて反吐が出ますが、
この発言以前に前売券を購入済みだったので、とりあえず観に行きました。
なるべく監督の左翼発言は棚上げして観たつもりですけど、なかなか難しく、
これまでの作品のように素直に楽しむことは出来ません。
もっとも、端からあまり期待できる作品ではないと思ってましたけどね。
鑑賞前から期待できないと思った理由は、大きく分けて3つあります。

期待できない理由その1は、本作が実在の人物の伝記であることです。
伝記映画はそこで描かれる人物や業績に興味がないとなかなか楽しめないものです。
本作は堀越二郎というゼロ戦を設計した人物の伝記となっていますが、
ボクは戦闘機にも興味がなければ、それを作った人なんて当然興味がなく、
どうでもいい人物の半生を描いた、どうでもいい内容の作品になる懸念を感じていました。
まぁ全く知らない偉人の伝記映画なんかもけっこう観てるし、
その中には初めは全然興味なかったけど、観ると興味が湧いてくるようなものもあり、
伝記映画というだけで全く期待が出来ないということはありません。
しかし本作がそれでも期待できないのは、伝記映画なのにアニメということです。
伝記映画にアニメなんて手法は必要ない、というか不向きです。
アニメは架空のものを表現するのに便利な手段である反面、何でもメルヘンにしてしまい、
伝記のような実在の人物や出来事を再現するには向いてないと思うのです。
ボクの最も尊敬するアニメ監督の原恵一は、実在の人物の伝記映画『はじまりのみち』で、
自身はじめての実写映画に挑戦しましたが、とても素晴らしい作品になっていました。
それも同じ内容でもアニメを用いていたら全く感動できない作品になったはずで、
描く内容にとってちゃんと表現方法を選択する、見事なお手本です。
ところが宮崎駿監督は、伝記だろうがなんだろうがアニメ一辺倒です。
はっきり言って芸がないし、表現者としての底が知れるというものです。
その点では愛弟子の庵野秀明監督の方が、作品によって実写も使うし幅があります。

しかし期待できない理由その2が、この庵野秀明です。
彼は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズなどの監督で、裏方が本職です。
多少演技経験もあるみたいですが、ほぼ素人同然の彼を本作では声優に抜擢しています。
しかも主人公の堀越二郎役という、正気とは思えない大抜擢です。
ボクはアニメはプロの声優を使うべきだとは思いません。
声の演技さえ上手ければ、俳優だろうとタレントだろうと素人だろうと使えばいいです。
しかし彼の場合は、通りの悪い発声に棒読みのセリフでお世辞にも上手いとは言えず…。
まぁアニメでは出会えませんが、あんな朴念仁のような喋り方の人は実際にいるし、
暫らく聞き続けていたら多少は慣れてくるものですが、第一声は愕然としましたね。
堀越二郎の少年時代は(たぶん)プロの声優が担当していたので、
彼が成長し庵野にバトンタッチした直後は、これを最後まで我慢しなきゃいけないのか?
と絶望的な気持ちになりました。
庵野は「ゼロ戦を是非描かせてほしい」と本作の製作に参加したそうで、
そこを監督が「君、主演声優もやっちゃいなよ」と無茶ぶりしたらしく、
プロとしてはあるまじき内輪受け狙いの悪ノリとしか思えないキャスティングです。
それでテストしてみて上手くいけば結果オーライですが、この結果はダメでしょ。
たぶんジブリ内でも「これはない」と思った人が大多数だと思いますが、
ワンマンな宮崎駿監督には誰も意見することが出来なかったのでしょう。
監督自身も庵野をテストしてみて「あちゃー」と思ったはずですが、
意固地になった老人の頑固さで前言撤回できなかったのでしょうね。
世間ではこういう人のことを「老害」と言います。

音声の面で主人公の素人声優と同じくらい懸念した、期待できない理由その3は、
本作の効果音のほとんどを人間の声で再現するという試みです。
ボクは予告編の時の二郎鳥型飛行機のプロペラ音で、「これボイパ?」と気付きました。
ボク程度がすぐに気付くのだから、音をリアルに再現しているとは言えません。
それにボイパってなんだか耳元に唾が飛んで来そうな不衛生な印象で嫌いなんですよね。
まぁこれも、観ているうちに徐々に慣れる部分もあるのですが、
プロペラ音の違和感だけは最後まで拭うことが出来ませんでした。
あと、関東大震災の効果音が「おーおー」って感じの悪魔のような声だったのも、
阪神大震災で被災したボクとしては「ふざけてんのか?」と思ってしまいました。
地震のシーンでは逃げまどう民衆が悲鳴など全く声を上げませんが、
これは声で作った効果音に、登場人物の声が混ざると何か不都合があるからでしょう。
あんな粛然とした大震災は違和感ありまくりで、全くリアリティがないです。
なんでも「最近のアニメは効果音コダワリ過ぎ、一度シンプルにするべき」という、
宮崎駿監督の思い付きだったそうですが、逆に声だけで効果音作る方がコダワリ過ぎで、
手間もかかる割には、リアルな音も再現できず、何のメリットもないです。
むしろ違和感というデメリットを付与してくれてますが、どうせそこまでやるなら、
BGMもいつも通り久石譲のオーケストラに頼らず、全てアカペラにすればいいのに…。

ここまでは鑑賞前からの懸念でしたが、全て懸念通りの結果で残念でした。
しかし、いざ鑑賞してみると、ストーリーまでかなり残念な出来です。
以下、ネタバレになります。

本作はミリタリー系の模型雑誌『月刊モデルグラフィックス』で、
宮崎駿監督が連載していた漫画を映画化したものです。
ミリタリーマニアの監督が趣味で執筆していた漫画らしいのですが、
鈴木プロデューサーが「これを映画化しませんか?」と監督に持ちかけたそう。
ゼロ戦の開発秘話的なマニアックな内容の漫画なため、
監督は「アニメを大人のものにするな」と拒否したそうですが、
ジブリの女性スタッフから「子供も今は理解できなくてもいずれ理解できる」と言われ、
「そういうものかな」と映画化企画をスタートしたそうです。
しかし大人であるボクが観ても、本作が何を伝えたいのかイマイチわかりません。
『風の谷のナウシカ』とか『天空の城ラピュタ』とかは、何度も再放送され、
その度に「またか」と思いながらも見ちゃったりしますが、
本作は一度観たらもう十分で、繰り返し見ようと思う作品ではないです。
たぶん今の子供たちも今回一度観たら、生涯また観たいとは思わないでしょう。
どのくらい何も伝わらないかと言えば、TOHOシネマズが本作の公開に先立って、
全映画の上映前に本作の4分間もある特別フィルム(予告編)を流していましたが、
その特別フィルムで受けた印象と本編の印象に何も変化がないくらいです。
つまり特別フィルムの4分間で伝えるべきことは全て伝えてしまっており、
それをだらだらと2時間以上に希釈したのが本作だということです。

まず伝記としての本作ですが、主人公のモデルは堀越二郎だけではなく、
堀辰雄という小説家の人物像も足してしまっているので、
堀越二郎という人物の伝記映画としての価値はないに等しいです。
ミリタリーマニアの宮崎駿監督は、ゼロ戦設計者の堀越二郎の伝記を描きたかったけど、
それだと戦争映画になっちゃうので、主人公に人間ドラマを足して、
ロマンス映画としてカモフラージュしたのでしょう。
本作のロマンス部分は堀越二郎の来歴とは全く関係ないです。
主人公は後に妻となるヒロインの菜穂子と関東大震災で運命的な出会いを果たしますが、
実際の堀越二郎は関東大震災を経験してないそうですからね。
関東大震災を経験したと思われるのは作家の堀辰雄の方です。
菜穂子は架空の人物で、名前は堀辰雄の小説『菜穂子』から拝借され、
エピソードは堀辰雄の小説『風立ちぬ』に着想を得ています。
イメージとしては小説『風立ちぬ』の主人公に、無理やり堀越二郎を捻じ込んだ感じで、
宮崎駿監督はどんな手段を用いてでもゼロ戦設計について描きたかったのでしょう。
そのために作品を改変された堀辰雄は、草葉の陰でどう思ってるでしょうね?

後半、畳み掛けるようにロマンス展開になりますが、
前半はほとんど、ゼロ戦開発を描いた『プロジェクトX~挑戦者たち~』です。
当時、先進工業国から技術が20年は遅れていた日本の飛行機産業の中で、
三菱内燃機製造の隼班に入社した天才設計士の堀越二郎が、
先進国ドイツを視察したり、サバの骨から着想を得たりして、
ゼロ戦こと零式艦上戦闘機の試作機、九試単座戦闘機の開発に成功するまでが描かれます。
『プロジェクトX~挑戦者たち~』は知られざる開発プロジェクトを紹介し、
開発者たちの偉業を称えるドキュメンタリー番組でしたが、
殺戮と破壊の道具であるゼロ戦の開発を偉業と称えることは、
太平洋戦争に自虐史観を持つ左翼の宮崎駿監督には抵抗があったでしょう。
でも戦争は嫌いでも戦争の兵器は大好きな彼は、名機であるゼロ戦を称えたいという、
自己矛盾を抱えており、それをなんとか成立させる苦肉の策として、
太平洋戦争に突入する日本は批判しながらも、堀越二郎たちのことは、
そんな時代でも真っ直ぐ夢を追い続けた素晴らしい青年として描きます。
堀越の夢は「強い戦闘機を作ること」ではなく「素晴らしい飛行機を作ること」で、
その飛行機が軍事目的で利用されようが、彼の責任ではないというスタンスです。
彼の同僚でドイツのユンカース社のG-38をモデルに爆撃機を設計した本庄も、
「俺たちは武器商人じゃない、いい飛行機を作りたいだけ」と自己正当化してました。

しかしそんな綺麗事、到底納得できるものではないです。
実際の堀越がどんな気持ちでゼロ戦を設計していたかは知る由もありませんが、
本作の堀越は監督の思想が投影され、戦争に突き進む日本を憂いています。
国連を脱退し、満州を作り、列強や中国相手に事を構えることに対し、
「日本は破裂する」と考えています。
当時は大震災、不景気、結核の蔓延など、庶民の生活も楽ではなく、
銀行の取り付け騒ぎや、街かどで飢える子供たちにも懸念を持っています。
飛行機の部品ひとつあれば庶民は暫らく生活できるほどで、
飛行機作りがどれほど金を食うかも理解していますが、
それでも彼は、日本を戦争に向かわせる後押しとなる飛行機作りに勤しみます。
本当に飛行機のことしか考えられないモノ作りバカであれば、まだ理解できるが、
戦争や日本の貧困を憂いてるくせに、それでも飛行機を作ることが、
果たして人間として真っ直ぐな生き方だと言えるでしょうか。
土木作業用に持ち運びやすい安全な爆発物ダイナマイトを作ったノーベルは、
ダイナマイトが軍事利用されることに葛藤を感じていたと言います。
それに対し本作の堀越は、飛行機が軍事利用され大勢が死ぬことに、
なんの苦悩も葛藤も感じてないように見えます。
ラストでの彼の「ゼロ戦は一機も帰ってこなかった」的な台詞も、
乗っていた兵士の心配ではなく、自分の飛行機の心配しているだけに思えます。
結局、反戦映画で武器商人を賛美することなんて無理があったんですよね。
その結果、日和見で中途半端な内容になってしまっています。

本作に戦争シーンがないのも単なる「逃げ」に相違ないです。
戦争映画ではなく、ロマンス映画だと言い張りたいのでしょう。
いや、「逃げ」というよりは「打算」かもしれません。
アメリカや中国をはじめ世界中で人気のある宮崎駿映画だから、
海外市場を睨めば、真珠湾や重慶など敵地でゼロ戦が大活躍するなんて描けません。
逆に敵にやられゼロ戦が墜落するシーンなんてのも、
ゼロ戦マニアの監督としては描きたくなかったのかもしれません。

建前上のメインである堀越と菜穂子のロマンスについても少しだけ感想を。
関東大震災から暫らく経って、2人が再会したのは軽井沢かどこかの避暑地でしたが、
堀越がなぜそこを訪れたのか、その経緯が説明されておらず、
ロマンスにするために、無理やり再会の展開を差し込んだ感は否めないです。
ドイツ視察を終えて日本に帰国し、これから艦上戦闘機を設計するという時に、
急に休暇で避暑地を訪れるなんて、絶対不自然ですよね。
再会して親密になった2人は婚約しますが、菜穂子はかなりいいトコのお嬢さんなのに、
彼女の父親も二つ返事で婚約を認めてしまいます。
急すぎる展開ですが、ロマンスは建前なので恋愛の機微なんてどうでもいいのでしょう。
菜穂子は結核を患っており、ある日喀血し、サナトリウム的な高原病院に入院します。
しかし彼女は病院を抜け出し、東京にやってきて、堀越と結婚するのです。
堀越は九試単座戦闘機の海軍へのプレゼンを控えた追い込み時期で、
超多忙な時期だったのに、なぜそんな時に彼に世話を焼かすようなことをするのか。
堀越自身は喜んでいたけど、結核は感染症で、彼に感染する可能性も高いです。
結核は飛沫感染なのでキスなんて以ての外ですが、あろうことかしっかり初夜まで…。
…というか、直接的には描かれませんでしたが、性交渉を匂わすシーンなんて、
ジブリ映画としてはかなり異例だったんじゃないですか?
おっと話がズレましたが、何より解せないのは、九試単座戦闘機のプレゼンが成功し、
堀越の仕事も一段落した折に、菜穂子が高原病院に帰ってしまうことです。
これから落ちついて夫婦生活が出来るようになったら無言で姿を消すなんて、
やっぱり仕事を邪魔しに来たとしか思えません。
菜穂子はその後亡くなるようですが、患者を雪降る野外で寝かせるような病院では、
結核を患っていない健康な人でも死んじゃいそうですね。

堀越はイタリアの飛行機設計士カプローニに憧れており、
たびたび彼が夢に登場するのですが、結局実際には会いませんでした。
ドイツ視察から西回りで帰国する展開になった時は、イタリアによるかなと思ったけど、
そのまま普通に帰国しちゃったのは拍子抜けです。
夢の中でカプローニは堀越に「創造的人生の持ち時間は10年だ」と助言を与えます。
これは本作の中では最も納得させられたセリフでした。
つまり宮崎駿監督の創造的人生は、もうとっくの昔に終わっていたわけです。
ジブリ立ち上げから換算しても、『もののけ姫』の頃には終わっており、その後は惰性。
そして今は絞りカスだから、こんな残念な映画しか作れないのでしょう。
ジブリも若手育成が急務ですが、こんな宮崎駿のワンマン体制では、
ディズニーやピクサーのように上手く行くはずもないですね。
そういえばジブリの製作現場に潜入する映画『夢と狂気の王国』が今秋公開になります。
それを観れば"狂気の王"の実態が明らかになるかも?
あ、高畑勲監督の『かぐや姫物語』も今秋公開ですね。
カプローニ理論だと、それも期待はできませんが、本作ほどマイナス材料はないです。

※この感想記事は、ちょっと辛辣に書きすぎたと反省してます。
長すぎて直すに直せないので、言葉半分に捉えてください。

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